観劇
仲間、と言ってもいつもいつも顔を突き合わせているわけではない。
普段どこで何をしているのか、よくわからない奴も多い。
ホルマジオが今待っている相手にもそれは言えることで、だいたい何で呼び出されたのかの見当もつかなかった。
よりにもよってこんな人の多いところで……。
男二人で待ち合わせるような場所ではない。他のテーブルに目を遣ると、密着して座る男女がいちゃついている。
初めての店だったので気づかなかった。ここはきっと最新のデートスポットに組み込まれているのだ。どのテーブルも若い男女で埋まっている。
そんな店のど真ん中で、男一人、小一時間も人待ち顔で座っていれば、誰が見ても『女にすっぽかされた間抜けな男』でしかない。
しかし本当に遅い。
確かに七時に来いと指定されたはずだ。
待ちきれなくなって、ホルマジオは自分の分だけ夕食を頼む。厳密には、食事に誘われているわけではないのだから、食べていても構わないだろう。
だいたい今の今まで、目の前に置かれた一杯のカプチーノをちびちび啜っていたのは、相手が来てから夕食にすべきだろうと判断したからだったのだが、いくらなんでももう待てない。
それから更に二十分が経過した頃に、やっとホルマジオを呼び出した相手は現れた。
「お待たせ」
「……先に食ってたぜ」
傍らに立った相手をちらりと眺め、ホルマジオは絶句する。
おいおいおい、こいつ正気か?
こんなとこで食事するってのに、その格好はねえだろ。
日頃から見慣れているコスチューム。いつも見ているだけに、その異常性は最早気にならなかったが、しかし公衆の面前でこの格好は目立ち過ぎだ。
せめてその中途半端な覆面は外してもいいだろうに。
素顔を見られると何か問題でもあるのか、メローネが外出時に片目を隠さずにいる姿など見たことがない。
多分言っても外さないだろう。ホルマジオは周囲から刺さる視線に気づかないふりをする。
「それで? オレに何の用があるんだ?」
できるだけ相手を見ないように俯き、フォークとナイフだけに集中して問いかける。
一呼吸分の間が空き、メローネはさりげなく答えた。
「ホルマジオ。オレを小さくしてほしい」
「仕事で、か? それともプライベートか?」
敢えて聞いてしまったが、個人的な理由で小さくなりたいのだったら即断るつもりだ。
しかし、もし仕事絡みでその必要があるのだったら、話はリゾットを介して伝えられるはずだ。それがないということは、十中八九、メローネの個人的な趣味に関係しているのだろうが。
「実は今夜、この先の劇場で、とある名作が上演される。それを是非観たい!」
「………」
やっぱり個人的なことだ。
「……金払って入ればいいだろう?」
「だめだ、それはできない。金が無いんだ」
「……誰かに借りればいいじゃねーか」
タダ観するために小さくしろ、とは随分手前勝手な。
構わずフォークを進めていたホルマジオに、メローネは首を横に振って答える。
「金を貸してくれそうなのはリゾットだけだが、リゾットには頼めない」
「……?」
「先週も借りたばかりなんだ。何でそんなに金が無いのか聞かれたら、どう答えればいいと思う?」
一瞬、「何に使ったんだ?」と問いかけたが、ホルマジオは寸前でその言葉を飲み込んだ。
この男は優秀だが、少々変わり者だ。どんなことに金銭をつぎ込んでいるのか、聞くのも恐ろしい。知らない方が身のためだ。くだらないことを聞かされて悩むのだけは御免だ。
「ああ! 後三十分で始まる! 早くしてくれ!」
両手を拡げ、さあ来いと言わんばかりの態度。
「……なんで今晩じゃなきゃいけねーんだ?」
「ついさっき仕事が終わって戻ったばかりで、明日の朝にはまた別口で離れるんだ。今夜を逃すともう観る機会がないんだ!」
その言葉の切実さは、ホルマジオにもよくわかる。明日の保証のない身だ。
腕が良く、ミスなど滅多にしないこのメローネのことだから、かすり傷一つ負うことなく帰って来るのだろうが。
帰れないかもしれない、という覚悟をしているはずはない。メローネは絶対にしていない。
それでも今夜に拘るのは、きっと、タダ観をしたいからなのだろう。
「それでおまえ、観たい舞台ってのは何だよ?」
真っ当な芸術にも興味があるとは知らなかったので、つい聞いてしまった。
「聞きたいか? 中世の性愛について斬新な切り口で……」
「言うなっ! もういい!」
やはり、こいつに関することは何も聞かない方がいい。
絶対に知りたくない。たとえ仲間であっても、メローネのプライベートだけは知りたくもない。
「してくれるのか!」
ホルマジオが「いい」と言ったのは、舞台の内容について聞かされることであって、小さくしてやるという意味ではなかったのだが、メローネは何か誤解したらしい。
陶然とした表情で喜びを噛み締めている。
「頼んでみるもんだ。時間も金も無いのに、どうしてもあれを観てみたい。タダで観るにはどうすればいいか、ホルマジオに頼んで正解だ」
「………」
この男の私生活には何の興味もない。というより、近寄りたくない。
もう面倒だから、小さくしてやろうか。
なんだかわからないが、その舞台にかける情熱は本物のようだ。これを退けると、後々どんな嫌がらせをされてもおかしくない。
「しょうがねえなあ……今日だけだぜ?」
自分だけ食べ終えると、ホルマジオはさっさと席を立った。
舞台のチケットも買えない男に、このそれなりに高級そうな店の食事代が払えるはずもない。下手に長居して奢らされでもしたらたまらない。
ホルマジオもそれほど裕福ではないのだから。
ただ問題は、既に九時近くとはいえ、まだ人通りの多い道を、こんないかれた格好の男と連れ立って歩かなければならないことだったが。
それより、後からメローネを元のサイズに戻さなければならない都合上、やはりホルマジオも一緒にその舞台を観なければならないのだろうか。
「楽しみだ! どんな凄い舞台なんだろうな! これだけ大っぴらに出来るってことはきわどい内容ではないだろうが、どこまで出来るのか、興味がある!」
何処からか持って来たらしい宣伝用のチラシに目を走らせ、メローネは大はしゃぎだ。街頭であまり卑猥な言葉を叫ばないでほしい。
「……おまえ、そういうの好きだな……」
「何を言う? 重要なことだぞ、人間の営みにとって」
理解できない。
というより、仲間内でホルマジオが理解できる奴の方が少ないが。
腕は確かなんだが。
仕事仲間としては申し分ないが、日常生活を共にするには、どうも少しずれた連中ばかりで困る。
「ああ、ここだ」
小さな劇場が見えた。
そして、その入り口の前で苦虫を噛み潰した顔で立つ男も。
「おい、あの凄い巻き毛……」
よく見知っている相手だ。
なんであいつまでこんな所にいるんだ?
まさか、あいつもメローネの同類か?
のんびりと歩いて来る二人に気づいたか、男は眼鏡を押し上げた。
「……オメーが、八時に来るっつったから、こんなとこに一時間も立たされちまったじゃねーかっ!」
ホルマジオは思わず溜め息をついた。
相当頭に来てるらしい。となると、後は何かよくわからない熟語の挙げ足取りが始まり、そのせいで更に怒り出すだろう。最終的には、一体何に対して怒っているのかすら理解できなくなる。
まあ、言うだけ全部言わせるしかないので、しばしホルマジオは傍観する。
「ナメやがって! クソッ! クソッ!」
近くにあった物を蹴りつけ、尚も何か文句を言い続けている。
それにしても。
こいつはここでメローネと待ち合わせでもしていたのか?
まさか三人でタダ観をするのだろうか。
「ほらよっ、こいつを届けに来たぜ」
やっと落ち着いたらしいギアッチョが差し出したのは、一枚のチケット。
「ったくよ〜、オレはリゾットとおまえのパシリじゃねーってのに」
それを渡してしまうと、さっさと停めてあった車に乗り込んで走り去ってしまった。
乱暴な操作で加速して行くギアッチョを見送った後、ホルマジオはメローネの手に握られたそれに視線を移した。
「なぁ、それがあれば入れるんじゃねえか? おまえ、チケット持ってたわけか?」
何か考えているようだったメローネは、やっと何かに思い至ったらしく、歓喜の叫びをあげた。
「そうだ! 先月、リゾットに頼んだんだ! 面倒な仕事押し付けられたから、ボーナス代わりに、この舞台を観せてくれって!」
どういう頼み方をしたのかは聞かなくてもいい。多分、延々まとわりついてねだったのだ。
こうあっさり忘れていたところを見ると、本人にとっては軽い冗談のようなものだったのだろう。律儀なリーダーはしっかりとチケットを買っていたようだが。
「……じゃあ、オレは帰る」
はしゃぎ回るメローネを無視し、ホルマジオはその場を後にする。
いつまでもそばにいると、「オレのポケットに入って一緒に観よう」と言われかねない。
やっと静かになった。
仲間達のことは嫌いではない。さっきの二人のように、一緒にいると五月蠅いのもいるが、さすがにもう慣れた。残りの六人についても同様だ。
今夜はもう帰って寝よう。ホルマジオも、メローネほど慌ただしくはないが、昼間に一仕事終えて来たところなのだ。
が。
「ホルマジオ!」
まだ何か用があるのか、メローネの声がした。
振り返ると、ふざけた格好のあの男が追って来ている。
「後からリゾットにも内容を報告してやりたいから、一緒に入って観よう。オレにチケットをくれたのも、きっと観たくても恥ずかしくて入れないからだ! 代わりに観て来てくれという意味に間違いない!」
それだけは絶対にない。
ホルマジオはそう思ったが、メローネがそう確信しているようなので、口には出さなかった。
まあ、いいか。
明日は一日中寝ていればいいのだから、少しくらい付き合っても。
「……いいけどな、その報告ってのはおまえが自分で直接言えよ。オレは関係ないからな」
リゾットに喧嘩を売ると、しばらく寝込まなければならなくなる。
「勿論だとも! それは重要な役目だ、是非やりたい!」
一瞬、もしかしたらこいつはわざとリゾットをからかっているのかもしれない、と思ったが、それを確かめる術などありはしない。
ホルマジオはまた「しょうがねえな」と呟いて、メローネの後に続いて劇場へと戻った。
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