密会
メローネから、妙な電話があった。
「深夜一時から三時まで鏡の中で待機して、部屋に出入りする人間と、中で何があったかを後から詳細に教えてほしい」
これがリゾットからだったなら、何かの重要な任務かと思うところだが。
それを指示して来たのがメローネという辺りが、どうも胡散臭い。何故そんなところにいなければならないのか、何のためにそんなことをするのか、詳しいことは何も教えてくれなかった。
一方的な電話はすぐに切られ、こちらから何度かけ直しても、もうメローネは出なかった。
殆ど廃墟に近いような汚いビルの一室。
物置と変わらない。
埃を被ったチェストや椅子、何に使うかわからない器具などが無造作に置かれた小部屋。
確かにメローネの言う通り、壁にはアンティークの大きな鏡がこれみよがしに掛かっている。
時刻は零時五十分。
イルーゾォは指定された通り、その鏡の中に入った。
たっぷり二十分はそこで待った。
ふと、この調子で誰もいない部屋を二時間も見張り続けることにでもなったら、メローネにどう責任を取ってもらおうかと考え始める。
メローネの言うことだから、本当に何事もなくただ二時間が過ぎてもおかしくはない。
後から文句を言った際、「本当に二時間もいたのか?」と笑い物にされる、という可能性も否定できない。
だんだん馬鹿馬鹿しくなって来た。
もう帰りたいと思い始めた、一時二十分。
部屋の扉が開いた。
本当に人が来た。
鏡の中から、そっとイルーゾォはその人物の様子を伺った。
向こうからは見えていないのだから、もっと堂々としていても良さそうなものだったが、ついなんとなくこそこそしてしまう。
「……?」
若い男だ。
粋なブランドのスーツを着こなした、スカした感じの。
どことなく、プロシュートに共通するものがあるな。そんなことを思い、はっとしてもう一度男の顔を見直した。
髪形が違うから、プロシュートではない、と思っていたのだが。
いつも髪を後ろで細かく纏めているので、あれを解くとどんな髪形になるのか知らなかった。
少し長めの髪を垂らしたその男の顔は、イルーゾォもよく知っている仲間のそれと酷似している。
いや。そっくり、では済まされない。
本人だ。
「プロシュート? こんなところで何を……?」
部屋の電灯は使えるはずだったが、明かりを付けようともしない。窓から入る僅かな光だけを頼りに、プロシュートは部屋の真ん中に置かれたテーブルに腰掛けた。
誰かを待っているのか、腕時計を何度も確認している。
メローネが知りたかったのは、プロシュートのことなのか?
それよりも、これはただの覗きではないのか?
程なく、もう一人が部屋に入る。
いや、入って来る瞬間は見なかった。
その男はいつの間にか室内にいたので。
突如、プロシュートの背後の空間から姿を現したのは、これもまたよく見知っているリーダーだった。
この二人が、深夜に人気の無い廃墟で会っている。
何か重大な密談でもするのだとしたら、このイルーゾォの行為はただの覗きでは済まされない。
バレたらどうなるだろう?
プロシュートに痛めつけられるのは嫌だ。老衰で死ぬかもしれない。
リゾットにお仕置きされるのはもっと遠慮したい。体中からカミソリや針が出て来た挙げ句、黄色い血を流して死ぬかもしれない。
イルーゾォは気を引き締めた。
なんだって任務以外でこんな危険な目に遭わなければならないのか。全部メローネの覗き趣味のせいだ。
かなり用心しているらしく、二人の話し声は小さ過ぎて殆ど聞こえない。
ぼそぼそと何かを語り合った後、リゾットはプロシュートに札束を握らせ、また消えた。
「………」
ボーナスか、借金か。
全くわからなかったが、金を受け取ったプロシュートもすぐに部屋から出て行った。
プロシュートが部屋に入ってから、たったの十五分だった。
これでお役御免かと思ったが、メローネに二時間と指定されている。三時までここにいる必要があるのかどうか。
あと三十分だけ。三十分経っても、プロシュートが戻って来ないようなら、それで帰ろう。
そう決めた。
一時四十五分。
扉が乱暴に開かれた。
一瞬、プロシュートかと思ったが背格好が全く違う。暗闇に浮かぶシルエットに、目をこらした。
「……ペッシ?」
真っ暗な部屋の中で、あちこちにぶつかりながら、手探りで何かを探している。
そんなペッシの肩を、どこからともなく現れたリゾットが軽く叩く。
「うああああっっ」
おまえはそれでも暗殺者か。イルーゾォは溜め息をつきたくなった。
突然横からリゾットが現れたくらいで、あんなに驚くことはないだろうに。
リゾットの口が微かに動いた。
多分、今イルーゾォが思ったのと似たようなことを言ったのだろう。
「すっすいません!」
慌てて頭を下げて謝るが、相変わらず声が大きい。
しばらく様子を見ていると、またリゾットが懐から札束を出して手渡した。
まただ。
「ありがとうございます! 助かります!」
大声で礼を述べ、ペッシは部屋から飛び出して行った。
なんなんだ、これは。
扉から室内へ視線を戻したが、既にリゾットの姿はない。
部屋から出て行ったはずはないので、また姿を隠してどこかにいるのだろう。
そこまで考えた時、嫌なことに気づいてしまった。
リゾットがいつからここにいたのかわからない。入って来る姿は見ていなかったので。
イルーゾォが入った時、扉は閉まっていた。イルーゾォは入った後、ちゃんと扉を閉めた。次に開いたのは、プロシュートが来た時で、プロシュートの手によってすぐに扉は閉ざされた。そして、ドアを開けることなく、リゾットが現れた。
リゾットはただ見えないだけだ。壁や窓を通り抜けて来るわけではない。入るためには、やはりドアは開けなければならないわけで……。
ということは。
イルーゾォがここに到着する前から、既に室内にリゾットはいた。……と、いうことになる。
完全に、バレている。
鏡に入るところまでしっかり見られている。
ずっとここで様子を伺っていることも知られている。
逃げようか、と思ったが、この場だけ切り抜けても、意味がない。
この先一生リゾットから逃げ回って過ごすというなら別だが、遅かれ早かれ、仕事が入れば嫌でも顔を合わさねばならない。
素直に謝ろうか。
自分は何も知らなかった。メローネに、ただここに二時間いてくれと言われたから来ただけで、覗くつもりはなかったのだ、と。
言い訳の通用する相手かどうかわからないが。
迷い続け、時刻は深夜二時を回った。
再び扉が開かれた。
今度は誰だ。
イルーゾォも、次に来る人間もきっとチームの誰かだろうと予想していたので、新たな客の正体はすぐに判明した。
あのシルエットはきっとソルベとジェラートだ。
先程までと同様に、二人はリゾットから金を受け取り帰って行った。
次は誰が来るのだろう。
残るはホルマジオとギアッチョだけだが。
そう思って見ていると、突然鏡の前にリゾットが現れた。
「!」
思わず身構えてしまう。
「おまえで最後だ。早く出て来い」
正直、恐ろしい。
しかし、大丈夫、殺されはしない。
ちょっと顔から針が出るとか、口から何枚か剃刀を吐き出すとか、その程度だ。大丈夫、なんとかなる。
イルーゾォはそう自分に言い聞かせたが、そんな目に遭った時点で、けして“大丈夫”とは言えない状態なのだが、無理に大したことではないと信じようとした。
おずおずと鏡から出ると、リゾットは表情を変えずに、一言だけ質問した。
「それで、おまえは幾ら必要なんだ?」
「え……?」
小首を傾げるイルーゾォに、リゾットは眉を潜める。
「金を借りに来たのだろう? 金曜の夜、一時から三時の間にこの部屋に来る。俺に借金を申し込みたい時はそうすると、決めてあったはずだが?」
初耳だ。
尚も合点の行かない顔のイルーゾォに、リゾットはさほど動揺した様子もなく問いかける。
「知らずに来たというわけか。誰がおまえをここに呼んだ?」
「……メローネ、が……」
「ここで何が行われているか見て来いと頼まれたのか。そうか……金遣いの荒いメローネがどうして俺に金の工面を頼みに来ないのかと思っていたが……奴は知らなかったということか」
事実その通りで、これはブランド品で首の回らないプロシュートや、そのプロシュートについて歩くペッシ、金銭感覚までもが何処かずれているソルベとジェラートの二人、この四人だけが、こっそりリゾットから金を借りる時の取り決めだった。
ホルマジオやギアッチョはあれで意外に金銭の計画性だけは良かったので、必要無しということで、この四人は知らせなかった。
イルーゾォもその二人と同じ扱いだったようで、教えられていなかった。
逆にメローネには、違う意味で秘密にされていた。
リゾットの持ち金全部を湯水のように使われ兼ねないという不安から、借金の常習者達はメローネを仲間に入れなかった。
しかし、メローネはどこで嗅ぎつけたか、この四人がリゾットから定期的に金を借りていることを察知し、それもこの金曜の夜が怪しいと睨んだ。
そこで、見張りにイルーゾォを使ったようだった。
結局、イルーゾォは自分が見た物をメローネに報告しなかった。
リゾットは別に教えても構わないと言っていたのだが、許可を得るべき人間は別にいた。
メローネに会う前に、イルーゾォは借金組に事情を説明した。
その結果、適当にごまかせと凄まれた。
背後にスタンドを出した臨戦態勢のプロシュートに。
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