聖域

「リゾットは?」
 一人で待ちぼうけを食らわされるのに慣れたホルマジオは、暇つぶしに読んでいた雑誌を閉じ、今入って来たばかりの男に視線を移した。
「そろそろ来る頃じゃねぇか?」
「ふぅん……」
 自分がここにいるのは、仕事の打ち合わせのためだ。リゾットからそう言われて呼び出されているのだから。
 だが、こいつは何だ?
 今ここに来たってことは、まさか次の仕事はこいつと組むってことなのか?
 能力的にそれは無茶ってもんだろ?
「おまえも次の仕事の件なのかよ、メローネ」
「何だそれ? ああそれでホルマジオはここにいるってわけか。違う違う、オレは私用」
 どんな私用で、こんな夜中にリゾットを訪ねて来るのか知らないが、仕事を共にするわけではないとわかればそれでいい。ホルマジオはまた雑誌を開いた。
 あまり、この男は構いたくない。
「待てよ、ホルマジオ。陰険な奴のことだ、実はこっそり部屋の中にいて、悪口を言い合うオレ達を監視しているかもしれない! ちょっとその辺の隅とか触ってみろ!」
 構わなくても、勝手に喋り出した。
「……おまえが自分で調べればいいんじゃねぇの? その方がはっきりするだろ」
 言い捨てると、本当にメローネは壁中をベタベタ触り始める。真剣に付き合っていると混乱しそうなので、ホルマジオは見ないことにし、先程より遙かに真剣に雑誌を読み出した。


 深夜の教会に、リゾットはいた。
 かつてこの教会は、夜中は消灯していた。火の不始末などの問題もあるので。が、ある時から、二十四時間、明かりを灯すようになった。たった一人の、名も知らぬ男のために。
 その男は、けして決まった時間に訪れず、来てもただ一人で熱心に祈っているだけだ。声をかけたことは一度もない。聖職者という立場が、彼に近付くのを許さなかった。
 なぜなら、その黒衣の男からは、いつも血の匂いがしていたからだ。
 人を殺めずにはいられない男。そして、その手を汚した後は必ず犠牲者の為に祈る男。
 一言も発せずとも、それは容易に想像できた。
 何年も何年も、男は時折現れ、数時間を過ごした後、黙って立ち去る。
 この男には、おそらく複雑な事情がある。せめて彼の心が安らかなれ、と、男が来ることを黙認していた。


 目を閉じ、リゾットは恐怖と苦痛に歪む幼い顔を思い出していた。
 暗殺を生業とする以上、どこでどんな人間を殺しても心は痛まない。そのはずが、何故か幼児をその手にかけてしまった時だけは、自分を許せなくなる。
 命令されれば、女も子供もない。
 とうに捨て去ったはずの、人間らしい情。それがある条件を満たした時だけ蘇る。
 子供を殺した後に、この小さな教会に立ち寄る癖がついてから既に五年。いつ朽ちてもおかしくない建物と、近年目に見えて弱りだした老神父。もう少し懐に余裕があれば、幾らかはこの教会に落としたいと思う程度には、リゾットはこの教会の心遣いに感謝していた。何もできないのは金がないからだ。それがもどかしい。
 リゾットのために、一晩中開かれている扉。リゾットが何者であるのか、言わないまでもある程度察していながら、それでも門戸を閉ざさない神父。
 いつか自分の命が召される時が来ても、天はリゾットを、この神父がしてくれたように迎え入れてはくれないだろう。
 懺悔一つしないリゾットを、神父は理解しているようだった。
 ただここに来て、ああやって何時間も座っていることが、あの人にとっての懺悔なのだよ。そう若年者に諭す声を、前に偶然聞いてしまったので。
 この時間、あの老人はもう床に入っているのだろう。今ここに、リゾット以外に人の気配はない。
 閉じた瞳の奥から、あの子供の顔が消えるまで、リゾットは動かない。


 ホルマジオとの約束の時間に、五分だけ遅れてリゾットが現れた。
 やっと来やがったか。
 勝手に早く来て待っていたホルマジオは、三回は読み返してしまった雑誌を放り投げて、リーダーを出迎えた。
 しかしリゾットはホルマジオと目を合わせるより先に、壁や天井を調べるメローネを見つめ、そこから視線を外さずに尋ねる。
「ホルマジオ、あいつは何をしている?」
「リゾットを探してるんだってよ」
「? ……オレがここにいるのが、見えていないのか?」
「あいつには見えないんじゃねーの?」
 何をしているかはともかく、何故ここにいるのか。リゾットはわかっているらしく、顔色一つ変えずにメローネの前に立った。
「リゾット、そこにいたのか! 教えてもらいたいことがある」
「今日は何を聞きたい?」
「おまえ、今まで何人の女と関係を持った?」
 聞かないふりをしようとしていたが、つい聞き耳を立ててしまっていたホルマジオは、ぎょっとして二人の方を振り返る。
 まさかこいつ、そんなこと聞くためにこんな時間にリゾット探してたのかよ?
 しかし、当のリゾットは動じていない。
「おまえの趣味に口出しするつもりはないが、オレのデータを収集してどうするのかだけは聞かせてもらいたい」
「気になるんだ。聞いてみたくてたまらない! 一刻も早く知りたくて、ここまで走って来たんだ! それともう一つ。気になるといえば、仕事の後いつも二、三時間連絡が取れなくなる。どこで何をしているんだ? やっぱり女のところなのか?」
 リゾットの口振りから、ここ数日、メローネがリゾットに下らない質問を繰り返し続けていたことが窺える。
 しつこくされても気にしていないところは、さすがリーダーだとホルマジオは感心する。自分なら、一回目の質問をされた時点で殴り倒しているところだ。
「これからホルマジオと話がある。明日出直せ」
「明日になったら教えてくれるんだな! わかった、明日だな!」
 意外にもすんなり引き下がった。
 メローネが帰った後、ホルマジオはおそるおそる尋ねてみる。
「なあ、本当に明日になったら教えるのかよ?」
「いや。メローネのことだ、明日になれば、今夜のことなど忘れる」
 リゾットは書類を手渡し、そう呟いた。

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