気持ちを伝える術を知らない
ムカついた。
たった一度、一緒に食事をしただけの女が、「私とのことは遊びだったの?」と泣きながら詰め寄って来た。
一緒にメシ食っただけじゃねぇか。
食事に本気も遊びもあってたまるか。あれはただ食欲を満たすためにすることで、一人よりも二人の方が美味しく感じられる、という何の根拠もないのに世間に浸透しているその思想を実行しただけだ。
どういう思い込みの激しさだ、この女。
ギアッチョの気持ちなど少しも推し量ろうとしない不躾なこの女を、いっそ引っぱたいて蹴飛ばせたら。
さすがに、人目のあるこういう場所ではやらないが。
暗殺者たる者、不用意に目立ってはならない。
ギアッチョは時々、都合が悪くなるとそう言い聞かせて我慢する。
無意味に目立つ顔触ればかり揃えているチームを見れば、激しく説得力に欠けていることがわかるだろうが、その辺はこの際目を瞑る。
「なあ、勘違いしてねぇか? オレはよ……」
「いいの! わかってる! そうよね、貴方みたいな立派なお医者さんが、私なんか相手にしてくれるわけないもの」
誰が、何だって……?
ギアッチョはこの女と出会ってから今までのことを一気に回想する。
言ってない。
絶対に言っていない。
自分のことを医者だなんて、一度も言った覚えはない。
なんで医者だと思い込んでいるんだ?
ギアッチョを絶句させた女は、更に泣きながら続ける。
「でも遊びでも、私構わないの。奥さんに悪いもの」
また、ギアッチョはこの女との会話全てを思い出す。
言ってない。
それも言っていない。
妻帯者だなんて、言ったことは一度もない。
何を考えているんだ、この女は。
だから女は面倒なんだ。
「誤解があるようだから言わせてもらうぜ」
とにかく、医者だとか妻だとか、そういうことをまず訂正し、遊びも何も、食事をしただけでそんなつもりは毛頭無い、と分からせなければ。
しかし、女はギアッチョの「誤解」という言葉にだけ反応し、またしても勝手に話を進める。
「私の誤解だったの? 信じていいの? 遊びじゃなかったのね」
「だからよ……話を聞け」
「嬉しいわ。その言葉だけで私、十分よ。ねえ、最後に、ここにキスして」
何だかわからない。わからないが、今、「最後」と言ったか?
ここ、と示されたのは、左手の甲。
いくらもう夜だからといって、こんな人で溢れた店内で、そんな真似をしろと?
ギアッチョはそういうタイプではないと自覚している。照れもせずにそんな真似ができるか。
しかし、わからないことはわからないが、この女は今、「最後」だと言った。これで縁が切れるのかもしれない。そう思えば、これくらい。皆やってることだ。恥ずかしくなんかない。平気だ、一回くらいなら。
他にどうすることもできないのだから。
この女に、ギアッチョの本音は絶対に伝わらない。
これしかない。これしかないんだ。
ギアッチョはおそるおそる手を伸ばし、女の手を取る。
白い滑らかな手は、少しひんやりとしていた。
周囲に素早く目を走らせ、誰もこちらを見ていないことを確認してから、そっと顔を近づけた。
散々だ。
ついてない。
あの後、店内で女に抱きつかれ、あれほどギアッチョが慎重に行動していたというのに、結局店中の注目を浴びた。そして冷やかされた。
女は上機嫌で去って行ったが、絶対にもう会いたくない。
誰かに当たり散らさなければ気が済まない。
ギアッチョは携帯を取り出し、真っ先にメローネの番号を呼び出す。
こういう時は、あいつに当たるのが一番いい。
ところが、何コールしても出ない。
あれほど早く出ろと言っているのに。出られないような状況なら、留守電にしておけとも言っているのに。
十五コール後、ギアッチョは携帯を壊しそうな勢いで切る。
どういうつもりだ、あの野郎は。
ギアッチョが電話で待たされるのを嫌うのを、知っているくせに。
だがギアッチョはすぐに別の番号にかける。
八つ当たりするのは少々悪い気がする相手だが、もう遠慮なんかしていられない。普段から気苦労の多い奴だから、一つや二つそれが増えたところで問題はないだろう。
ところが、リゾットはお話し中。
誰と話しているのだろう。休みの日に電話をする相手がいるとは思えないのだが。
だったら、ホルマジオでもいい。
しかし、ホルマジオも同様だった。リゾットといい、ホルマジオといい、誰と話しているんだ。
ギアッチョは繋がらなかった相手にはさほど拘らず、次を探す。
こういう時相手になるかどうかわからないが、まだ他の連中よりはましだ。プロシュートが暇かどうかはわからないが、試すだけ試してみよう。
「……てめぇもか」
誰と話しているのか、こちらもだ。どっかの女と長電話でもしているのか? それともペッシと仲良くお話しでもしているのか?
確認のため、ペッシの番号もコールしてみる。本当に繋がっても、ペッシを呼ぶつもりはないので、すぐ切るのだが。
「……やっぱりあいつら二人で話してやがる」
ペッシとプロシュートが二人で長電話をしているのはわかった。
ので、ギアッチョは仕方なく別の番号にかける。
イルーゾォはきっと暇だろう。ギアッチョが暴れ回った時、きっと対処できなくて困った顔をするだろうが、イルーゾォが困ろうが泣こうが、そんなことは構わない。
が。
こちらも、何コールしても出る気配がない。
留守電くらい、入れておけ。
あまりかけたくはなかったが、ギアッチョはしぶしぶソルベの番号を呼び出した。
ジェラートと、どちらにかけても、きっと二人はセットでしか行動しない。どちらでも良かったが、先に見つけたメモリーはソルベの方だったので、そちらを選ぶ。
この二人と一緒にいても、逆に疲れるだけだと思ったが、他に誰もいないのだから贅沢は言っていられない。
しかし。
いつもならすぐに出るはずのソルベも、今夜だけは何コールしても繋がらない。
ということは、ジェラートも同じだろう。
ギアッチョはくそっと呟いた後、近くにあった他人のフェラーリを思い切り蹴りつけ、そして歩き出した。
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