キスしていいですか

 やっぱり小柄な子かな。
 目が大きくて、小さな口が愛らしくて、長い髪がサラサラで。
 それと、料理上手だけどちょっと不器用で、時々手に絆創膏。


「……他には?」
 メローネにそう促され、イルーゾォは少し考え込む。
「ついでに甘党の女の子だったら最高かな?」
 小首を傾げながらそう呟いた時には、もうメローネは椅子から立ち上がり、部屋から出て行くところだった。
「おい! 自分から聞いておいて、その態度は何だよ?」
「やっぱりこういうサンプルは、プロシュートかホルマジオにすべきだと分かった。だから帰る」
 振り向きもしない。
「好みのタイプを知りたいって言うから教えてやったのに!」
「そんな小学生並の答えなんか聞いてもね……じゃ、そういうことで」
 何を期待していたのかわからないが、イルーゾォの答えでは満足できなかったらしく、メローネはさっさと帰ってしまう。
 取り残されたイルーゾォは、ベッドに横たわり、頬杖をつく。
 久々の休みをのんびり過ごそうと、夕刻まで眠っていたので、まだ食事も摂っていない。夕食くらいは食べた方がいいかもしれない。
 そんなことを考えていた時に、突然やって来たのがメローネだ。
 このアパートの場所は教えていなかったはずなのに、どうやって突き止めたのか、勝手に上がり込んでいきなり訳の分からない質問を始めた。
 迷惑だったが、一通り答えてやればさっさと帰るだろうと判断し、それでも真剣に付き合ってやったというのに、あの態度はどうだ。
「変な奴……」
 一人きりになると、急に空腹になった。
 いや、少し前から気になってはいたのだが、メローネがいる間は考えないようにして誤魔化していた。そろそろ限界かもしれない。
 ずっと仕事で空けていた部屋には、食べ物などない。
 本当は、目を覚ました後、食料の買い出しに行くつもりだった。しかしメローネが来ていたお陰ですっかり外は暗くなってしまい、もうそんな気にすらなれない。
 仕方がない。
 外食で済ませよう。
 だがその前に。
 一つだけ、気になることがある。


 この部屋の上に住む、大学生。二十歳だということと、両親を早くに亡くして一人きりだということは前に調べた。
 実は先程メローネに語った女性像は、殆ど彼女のことを思い浮かべて話していたのだ。
 ああいう子と、一日中一緒にいて、どこか感じの良い店で食事をしたり散歩をしたり。そういう生活もしてみたいな。
 夢のような話だと思う。
 メローネの言う通り、子供のような無邪気な夢だ。そんな都合の良い幸せが手軽に手に入るくらいなら、生活のために人を殺したりなんかしない。
 でも。
 時々は、夢くらい見てもいいと思う。
 どうせ現実には叶わないのだから。
 そしてイルーゾォは、部屋に掛かる大きな姿見の前に立った。
 万が一の時の為に用意してある、イルーゾォ専用の脱出口だが、それ以外の目的にも使っている。


 上の階のバスルーム。
 その鏡から部屋の様子を窺う。
 狭い部屋なので、バスルームの扉が開いている時は、部屋の全景がここから拝めてしまう。
 彼女はもう帰っているだろうか。
 さすがに場所が場所なので、いつも用心深く、水音がしないか、人の気配がしないかを確かめてから来る。
 別に彼女に見つかる心配はないのだが、それでももし彼女のあられもない姿を見てしまったら、と思うと遠慮がちになる。さすがにそんな破廉恥な覗き行為はできない。
 暗い室内。
 まだ帰っていないのかもしれない。
 毎晩アルバイトの掛け持ちで忙しい、というのも調査済みだ。
 珍しく少し散らかっている。
 今朝は寝坊でもして、慌てて出て行ったのかもしれない。
 こういう状態の他人の部屋を見るのは好きだ。
 生活の匂いがするから。
 自分の部屋など、本当に人が住んでいるのかと思うくらい殺風景だ。
 いつ帰って来れなくなるかわからない。そう思うと、室内に執着できなくなる。
 だからこんな部屋は好きだ。
 平凡な、優しい生活が見えるような気がする。


 しばらくそこから眺めていたイルーゾォの耳に、鍵を回す音が聞こえた。
 帰って来た。
 彼女だ。
 ぐったりと疲れ切った顔をして、それでもしっかり夕食を作り、荒れた部屋も片付ける。そんな姿を見るのも好きだ。
 今日もきっと、そんな彼女に出会える。
 そう思っていた。
「大丈夫? 気をつけて」
 彼女一人では、ない?
「ああ、済みません。ご迷惑をおかけしてしまって……」
 男の声。
 若い男が、彼女と一緒にいる。
「私が不注意だったから。そこに座って、すぐに手当するから」
「本当に何から何まで……」
 彼女のハンカチで額を抑えた男。血がうっすら滲んでいる。
 何か彼女が怪我をさせてしまって、それでここまで連れて来た?
 イルーゾォはまじまじと男を見つめた。
 大したことのない顔だ。
 服のセンスも悪い。
 だいたい、イルーゾォよりも足が短い。スタイルも顔も、イルーゾォの方が上だ。
 そんなかすり傷で大袈裟な。早く帰れ。
 鏡の中から悪態をついても聞こえないのだが、聞こえないからこそイルーゾォは不満をぶちまける。
 手際よく、男の額に包帯を巻く彼女。
 男の為に、何か温かいスープを作ろうとする彼女。
 なんだか、無性に悔しい。
 そして何より気になるのは、少しずつ二人が打ち解けて行っていること。
 十分後には、もっと二人は親密になった。
 イルーゾォより遙かに見劣りするその男は、彼女の手を握る。
「キスしてもいいですか?」
 彼女は小さく頷いた。
 そして二人の影は交錯する。


 結果は見届けなかった。
 悔しい。
 彼女に目をつけたのは自分が先だった。
 別にそういう関係になりたかったわけではない。そこまでは考えていなかった。
 ただちょっと、「可愛いな」と思っていただけで。
 でもこうやって目の前で見知らぬ男に攫って行かれると、物凄く損をしたような気分になる。
 街を歩きながら、イルーゾォはさっさと夕食を食べて帰ろうと決めた。
 帰っても、すぐ真上にあの二人がいるのだが。
 いっそ引っ越そうか。
 メローネに住所がばれてしまったことも気になっていたのだ。
 よし、そうしよう。引っ越そう。
 決心を固めた所で、適当な店を見つけ、イルーゾォは中に入る。
 その店内には、なぜか顔見知りの顔があった。


「オレ達だけは、人が死んだくらいで泣いちゃいけねぇんだ」
「でっ、でもよぅ……」
「オレ達の仕事は人を泣かせることだぜ? そのオレ達が泣いてどうする?」
「でもっ……悲しくって……オレ、オレ……」
「今日だけは大目に見てやるが。いいか、これから先、人が死んでも泣くんじゃねぇぞ。親が死のうが兄弟が死のうが、仲間が死のうがだ」
「……でも、兄貴が死んだら、オレ泣くよ……?」
「泣くな! 縁起でもねぇ話しやがって!」
 そろそろ時間も遅くなり、食事時の雑踏から遠ざかりつつあるこの店で。
 いつまでもべそべそ泣き続ける男と、それを慰める粋な男。
 あからさまに浮いている。
 イルーゾォは、悪目立ちしている二人をできるだけ見ないようにしながら、離れたテーブルについた。
 こういう夜は、あまり仲間の顔は見たくなかった。
 まさかこんなところで出会すとは思わなかったが、しかしあの二人は何をしているのか。
 休みの日まで二人でつるんでいるのか、あの兄弟分は。
 いいよな、あいつらは。
 こういう空しい失恋とは、縁の無さそうな二人だよな。
 一人それを噛み締め、イルーゾォは二人に見つからないように、そっと食事を始めた。

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