あなたの口付けでも
完全に動かなくなったのを見届けてから、リゾットは姿を現す。
屍は俯せに、部屋のカーペットに転がった。
楽な仕事だった。
舞い込んで来る仕事の七割方が、こういった人物の始末だ。
チームの人間、総勢九名、その中の誰が手を下しても、要する時間は同じ。その程度のレベル。
誰かに割り振っても良かったのだが、ここのところ別件で立て込んでいたこともあり、メンバーは皆久々の休暇を楽しんでいるはずだった。そんな夜に、いきなり呼びつけて「中年男を一人殺して来い」とは言えない。
だからリゾットが来た。
メンバーの誰にも告げず、一人で来た。
自分は別に構わない。休みなど、無くても一向に差し支えない。すべき事柄は一つもない。
予測していたことだったが、簡単な仕事は呆気なく終わる。時間も取られない。この部屋に入ってから、まだ五分しか経っていない。
時計を確認する。
間違いなく、四分と十五秒だ。
残っているはずはないが、念のため、証拠になりそうな物を落としていないか確認する。
リゾットが来たという痕跡は残らない。
これで終了。
帰りかけたリゾットだったが、その物音は聞き逃さなかった。
隣室からだ。
情報では、一人でここに住んでいるはず。
来客の予定も無かった。
この時間は一人きりで過ごしていたはず。
隣の部屋に、人がいないはずなのだが。
もし見られていたなら、始末しなければならない。
ゆっくりと隣室への扉を開く。
開く前に、中の間取り、家具の配置を思い出す。
見取り図では、窓が西側に。南側にはバルコニー。北側の壁にはベッド。その右隣にチェスト。部屋の中央に丸テーブル。
人がいるとすればベッドかソファかデスクか。
バルコニーに出ていて、今室内に戻ったという場合も想定できる。
リゾットが扉を半分開いた時、中から女が転がり出る。
「………」
ずっと扉に齧り付いて、鍵穴からでも見ていたのだろう。
仕方がない。
どこの誰か知らないが、こんな日に居合わせてしまう、運の無い女。
無関係の人間を、ただの口封じのためだけに殺さなければならない時。リゾットはあまり苦しませないようにしている。
すぐに済む。
死んだことすら気づかぬようにしてやる。
リゾットの右手がゆっくりと持ち上げられる。
女は少し様子がおかしかった。
目の前で人が死んだからだろう。それも、見た目には全く説明の仕様のない不可思議な死に方で。関わっているのがこの黒衣の男だとわかっても、何をしたのかすらわからない。
だからだろう。
リゾットはそれを見定めると、右手を女の目の高さに持ち上げた。
瞬間。
女の両手はリゾットの首に巻き付き、あっという間に唇を重ねられる。
「……何の真似だ?」
命乞いか?
しかし女の答えは、リゾットの予測の範囲内ではなかった。
「死ぬ前に、もう一度だけ誰かとキスがしたかっただけ。貴方でも誰でもいいから、くちづけがしたかっただけ」
女はそれだけ言うと、そっと目を閉じる。
そして待つ。
リゾットが何かを仕掛けるのを。
理解できない思考の持ち主だ。
だが、殺されるとわかっていても騒がないのは助かる。
リゾットは躊躇することなく、女の首に腕を振り下ろした。
二つの死体と、二つの続き部屋。
最後の点検を終え、リゾットは部屋の明かりを消す。
今度こそ、終わった。
休日はまだ、四、五時間は残っている。睡眠時間を多少取ったとしても、四時間は確実に使える。
特にすることもないので、久しぶりに家でゆっくりと音楽でも流しながら安楽椅子に腰掛けて過ごそうか。
それより、一度ソルベとジェラートに連絡を取ってみるべきか。
あの二人が最近、隠れて何をやっているのか、リゾットは全て知っている。あの二人だからこそ放っておいたが、だからといって油断は禁物だ。
一度報告させる必要があるかもしれない。
そんなことを考えながら外に出た。
途端に、ポケットの携帯電話が震え出す。
番号を知っているのは、一名の幹部と八名の部下だけ。
今リゾットが仕事中だと知っているはずの幹部からは、絶対に電話などかかってこない。
すぐに頭に、八人の顔が浮かぶ。
誰が、休暇中にチームのメンバーに電話などしているのか。
画面に表示された名前。
「ホルマジオ……?」
珍しい人物からだ。
先日、リゾットがある忠告をしてから、膨れっ面をしていたホルマジオが、またどうして。
まさかその忠告の原因との間でトラブルか?
ああいう男だから、女絡みで揉め事を起こすことはないと信じていたのだが、何かあったのか。リゾットを頼らなければならないほどのことが。
ここで考えていても結論は出ない。
話を聞いた方がいい。
「何事だ、ホルマジオ?」
リゾットはいつもと同じ口調で、ホルマジオに応えた。
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