群青色の中

 二〇〇〇年夏。

 露伴の家に届いた小包。
 差出人は、叔母。
 殆ど付き合いらしい付き合いもしていない親戚が、一体何の真似かと訝る。
 お中元か、と最初は思った。
 もしそうなら送り返すつもりで開封した。
 中身は、古いアルバム。
 物置を整理していたら出て来たのだが、写っているのは殆ど露伴と露伴の家族だったので、露伴に渡すことにする、という内容の手紙が添えられていた。
 当時の写真は、きっと家族が処分してしまって露伴は一枚も持っていないだろうから、と。

          *

 一九八四年七月。

 仕事で留守にしがちな両親は、今日もいない。
 遊園地に連れて行ってあげるから、の言葉を信じて待つ。
 それでも寂しい。
 家族ぐるみの付き合いをする杉本の家に、自分の家よりも馴染んでいる。
 その家の一人娘。高校生。
 自分の本当の姉だと思い込んでいた。
「露伴ちゃん。新しいクレヨン買ってあげる」
 手を繋いで買い物に行く。いつものように。
「どうして露伴ちゃんのクレヨンは、空色だけがこんなに短くなっちゃうのかしらねえ?」
 十二色のそれは、いつも同じ色だけが減る。
 クレヨンを買ってくれるのは、いつもこのお姉ちゃん。
「ほら、露伴ちゃんの好きなお空。今日も綺麗ね」
 見上げた空は雲一つない快晴。
 空を見る時、いつもそこに雲はない。
 だから描く絵も、上半分はいつも真っ青に染まる。

          *

 アルバムに写真と一緒に挟まっていた画用紙。
 子供の稚拙な絵。
 多分、自分が描いた。
 画面の半分は群青色。
 そして下半分は緑。
 木々の多い家だったから、だから地上は緑。
 隅に、小さく四つ足の動物。
「アーノルド……?」
 幼い自分の知っていた犬は他にもいたかもしれないが、今はこれをアーノルドだと思いたい。
 空と木と犬。
 それだけしか描かれていない絵。
「普通は人間を入れるだろう。自分とか親とか……」
 背景に家を描いて、その前に立つ家族を。
 それがどうして、空と木と犬なんだ?

          *

「露伴ちゃん、アイスクリーム食べようか?」
 文房具店の横にある、駄菓子屋。
「おばさんには内緒よ? いい?」
 商店の店主の趣味はカメラ。
「あら、おじさん。どうしたの、それ?」
「買っちゃったよー女房には言うなよ?」
「一枚撮って」
 二人で並んで、店の前のベンチに腰掛ける。
「あ、大変。おばさん来ちゃったわよ」
 カメラを抱えて右往左往する店主に目配せし、露伴を置いて店の中へ。
「おばさん、こんにちは」
「あら、いらっしゃい」
 その隙に、そっと露伴だけを撮る。
「ほら、これ持って。こうやって振るんだ。ほぉら、出て来た出て来た」
 写真を持たされ、それをずっと振りながらアイスを食べる。
 ベンチに座る自分の姿が、少しずつそこに浮かび上がるのを楽しみながら。

          *

 ポラロイドで撮られた一枚。
 どこか知らない、古い店先。
 幼い自分。
 視線は、なぜか店の奥へ注がれている。
 何を見ている?
 アイスなんか呑気に食べて。
 いつの写真なのか。日付が入っていないからわからない。
 けれど、夏だ。
 服装でわかる。
 十数年前の夏の杜王町の街角。
 たった一人でベンチに座る小さな子供。
 撮ったのが誰なのかすら、露伴にはわからない。

          *

 新しいクレヨンは手に余るサイズ。
 けれどもしっかりと抱えて帰る。
「アイス美味しかったね。でも内緒よ? 帰ったらおやつ食べるんだから」
 手を繋いで、来た道を引き返す。
「おまわりさん、こんにちは」
 すれ違い様そう声をかけていた。ので、自分もそれに倣う。
 頭を撫でられた。大きな手で。
 また、駄菓子屋の主人が通りの向こうから声をかける。
「おーい! もう一枚撮ってあげるよー!」
 さっきとは別のカメラを持って走り寄る。
 息を切らしながら。
「奥さんに怒られるよ?」
「いいのいいの。この楽しみがわかんない奴は放っておけば。さ、並んで並んで」
 シャッターを切る瞬間、店先から怒声。
「あなた! 何やってるの!」
「うわっ」
 驚いた拍子に、少し手が振れた。

          *

 下手だ。
 誰が撮ったのか知らないが、下手すぎる。
 露伴が左端に辛うじて全身。
 真ん中には制服姿の巡査。
 そして右側には何もない。
 ただの道路だけ。
 もしかしたら、露伴の横にはまだ誰かいたのかもしれない。
 けれど年月を経て残された画はこの部分だけ。
 画面に入り切らなかった部分に何があったのか、想像することさえ難しい。
 誰もいない右側。
 さっき見た画用紙と同じ色の空がある。
 もしかしたらこの写真と絵は、同じ日なのかもしれないな。
 けれど子供の目に映る景色に微妙な色彩など反映されない。
 どんな日に描いても、空の色は結局同じ。
 一つわかることがあるとすれば。
 露伴が見上げる時、それは殆どが晴れた日で、同じこの色の空を何度も目にしていたのだろうということだけ。
 雲一つない群青色の空の中に立っていたことだけ。


 一通りアルバムに目を通した後、露伴は画用紙をまた挟み込み、そしてぞんざいに放り出す。

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