白い魔物
今年は数年ぶりに大雪が降る。露伴はそう聞いていた。
流れるニュースからも、時折それらしい言葉を耳にしていた。遊びに来る康一も、そう言っていた。
だから露伴も、期待していた。
物心ついてからは、杜王町以南に住み続けていた露伴は、実は根雪の体験が皆無。降り積もった雪の上を歩いたり、朝起きてみれば降り積もった雪で玄関が埋まっていて外に脱出できないとか、雪だるまを作って遊ぶ子供を観察したりするとか、そういう体験を密かに楽しみに待っていた。
が。
今日は、既に三月十日。
もう冬は終わったも同然だと、露伴は思った。
物凄く期待した分、必要以上に沸き上がったこの怒りは、どこに向ければいいのか。
それでも、多少は憂さ晴らしになることをしてみた。
たとえば、卒業祝いを強請りに来た間田の記憶の一部を書き換え、留年したと思い込ませてみたり。
進級のかかった試験を控えた億泰が、必死になって暗記した構文を全部消去してみたり。
しかしその程度でどうにかなるような怒りなら、最初から抱いたりはしない。
雪なんか一度も積もらなかったじゃないか。
岸辺露伴が、なんだかわからないけれどご立腹だ。
最近、勾当台付近で呪文のように囁かれている言葉は、当然、康一も聞いている。近所に住んでいる以上、誰もがあの大先生の理不尽な我が儘の犠牲になりたくないので、予め近寄らないようにとの警告は回覧板で回されていた。
情報の出所は出入りのご用聞きで、いつものように配達に行くと、眉間に深く深く皺を刻んだ露伴が出て来たらしい。
露伴の機嫌が、何かの拍子に悪くなるなど、今に始まった話ではない。
だから康一も、最初はそれほど気にしていなかったのだが、最近では、回復するどころか、日一日と悪くなって行っているらしい。
余程のことがあったに違いなかった。
なんだか心配になって来たので、康一は覚悟を決め、一人で露伴の家に向かった。
「えーと……それだけですか?」
岸辺邸を訪れて三十分。
手土産片手に笑顔を作り、その後も露伴を刺激しないよう細心の注意を払い、やっとの思いで聞き出した内容。
「……『それだけ』だと? テレビ局や町の人間の噂を真に受けて、馬鹿を見た僕に対して言うことがそれかね?」
その、『町の人間』の中には、当然自分も含まれていると知っている康一は、背中を嫌な汗が伝って行くのを感じた。
まずい。なんとかしないと、間田さんや億泰くんと同じ目に遭わされる……。
露伴の口から勢いに任せて飛び出したあれやこれやを聞いてしまった以上、感じる身の危険は気のせいなどではない。
「じゃあ先生……スキー場とか行きましょうよ? 雪、いっぱいありますよ?」
適当に言った割には、名案が口をついて出たと思う。
「シーズンはもう終わりだ。それに僕は、スキーがしたいわけでも、スキーをしている人間を見たいわけでもない」
出たよ、先生の我が儘。
もうこの際なんだから、それで妥協すればいいのに。
面と向かっては絶対に言えない言葉を、康一は頭の中だけで繰り返した。もし今、露伴にスタンドを使われたら、今度こそただでは済まされないような悪態ばかりを。
「……でも先生、いくらこの町がスタンド使いだらけで、何でも出来るって言っても、雪を降らせることはできないんですから、来シーズンまで待ちましょうよ?」
「それだ! それだよ、康一くん!」
は? 何が?
いや、次の冬まで待ってくれるのなら、それでいいのだが。
「あれから半年。君も気づいているだろうが、まるでこの町の僕らは磁石のように、全国からスタンド使いを引き寄せているらしい。僕が把握しているだけでも、三人は越して来ている。探せば他にもいるだろうな。つまり、だ……」
「……でも先生、いくら増えてても、雪を降らせる人はいないんじゃ……」
雪を見ることなく一冬終わったことが、余程悔しかったらしい。
だんだん、露伴の言っていることが常軌を逸しているとしか思えなくなって来た。
「そもそも、そんな人、どうやって探すんです?」
「僕が町中歩き回って、片っ端から面接すればいい」
去年の夏、殺人鬼相手でも面倒がってやりたがらなかったことなのに、自分の欲望の為なら苦労は厭わないらしい。
「そ……そうですか、それはいいんですけど……。いや、いいですよ、うん、本当に。……じゃあ、僕はこれで……」
何か言うべきだと思うのだが、康一もこれ以上露伴を刺激したくないので、何か妙なことに巻き込まれる前に帰るべきだと判断した。
判断は、間違っていなかった。
「待ちたまえ。ついでだから、一緒に探そう」
「でも僕、宿題も……」
「行くだろ? 僕と一緒に」
「………」
断ったら。億泰や間田のようなことになるのだろうか。
勿論露伴も、本気でそんな馬鹿なことを考えているわけではなかった。
やって来た康一の顔を見た途端、「そういえば雪が積もるかもしれないと言った中には康一くんもいたな……」と思い出し、のほほんと茶を啜っている姿にまた怒りが沸々と沸き上がって来た。
少し困らせてやろう。
康一には気づかれぬようほくそ笑み、露伴は前述のような正気の沙汰とは思えぬ発言をしてみた。
素直な康一はあっさり信じたようで、今も露伴の後ろを着いて来ながら、どうやって露伴を止めようかと悩んでいる様子が見て取れる。
馬鹿馬鹿しい。
この露伴が、そんな手間の掛かることを本気でするはずがないだろう。
だが康一はわかっていないようなので、もう少しこの遊びを続行することにした。
そうすると、少しは気が晴れるように思えたので。
一方で康一は。
前をずんずん突き進んで行く露伴の背中に恐怖を隠しきれずにいた。
本気でやったらどうしよう、とか。この人の場合は本気だからやるに決まってるし、とか。様々なことを考えて冷や汗をかいていた。
もし露伴が町民に無体なことを始めてしまったら。そしてそれを見続ける羽目になったら。
もう今年から、雪が降っても子犬のように喜べないような気がする。
雪を見る度に、町中でスタンドを使う露伴の恐ろしい姿を思い出すかもしれない。
今年のクリスマスこそは、由花子さんとロマンチックに過ごしたいのに……。
前を行く露伴の背中を見ているだけで、早々雪へのトラウマを形成しそうだ。
雪を、魔物のように感じてしまったらどうしよう。
お願いですから先生、もう雪を降らせるなんて無謀なこと諦めましょうよ……。
泣きそうな顔で康一は露伴の背中に訴えたが、さすがに声に出して露伴を止める度胸は持ち合わせていなかったので、結局駅前に着くまでの数十分間、康一は無意味な緊張を強いられた。
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