新しい道

 学校の帰り、オーソンの前を通りかかった。
 康一はそこに、露伴を見つける。
「あ、先生。こんにちは」
「ああ……君か」
「何してるんです?」
 ただそこに立っていただけで、特別何かをしている風でもなかったので、つい康一はそう聞いてしまう。
「君は買い物でも?」
 今まさにオーソンに入ろうという格好だった康一は、咄嗟に焦る。
「え!? ……まあ、そんなとこです……」
 本当は今日発売のジャンプを立ち読みしようと思っていたのだが、それを言うと露伴が不機嫌になるので、適当に誤魔化す。
 康一にも都合があるので、週刊誌を毎号欠かさず買うなんて浪費はできない。露伴の『ピンクダークの少年』も、結局は全てオーソンで読むことになる。
 今更、実は単行本も買ってません、なんて告白ができるはずもない。
「あの……?」
 露伴が見ていたのは、殆ど隙間の無いオーソン横。
「いや……最近ここに来ても、あの道に入れないんでね。無くなったわけではないんだろうが……」
「そういえば僕も……」
 言われてみれば、確かにここ数週間、この前を通りかかっても、道は無かった。
 普段から気をつけていたわけではないので、つい見落としていたが。
「何か、あの小道に用事でもあるんですか?」
 聞いてから、失敗した、と思う。
 いくら露伴が薄情だといっても、鈴美のことを偲ばないはずがない。
 康一は顔を顰め、おそるおそる露伴を見上げた。
「今度、荒れ果てた廃屋を舞台にした作品を描こうと思っていたんだ……あそこにはうってつけの家が沢山あっただろう? 参考になればと思って来たんだが」
 本音なのか、建前なのか。
 康一は露伴の顔を凝視し、それを見極めようとした。
 だめだ、わからない。
 この半年で、この人は前にも増して何を考えているのかわからなくなった。
 以前よりも人当たりは良くなった。
 その分、感情を隠すのがうまくなってしまったような気がする。
 特に、鈴美に関しては。
 毎月、彼女の月命日に、花を買って霊園の方に向かって行く露伴の姿を、皆が目撃している。
 さすがに声を掛けるのは憚られ、皆黙って見送っている。
 声をかけたくても、その背中に拒絶されているように思えて、誰も何も言えないのだという。
 今日は十三日ではないし、鈴美がここから旅立ったあの日でもない。
 もしかしたら、本当にただ、取材に来ただけなのかもしれない。


 しばらく、見えない小道を凝視し続けていた露伴が、徐に康一の方を向き直る。
「ところで康一くん」
「はい?」
 露伴につられるように、入れない小道を見つめてしまっていた康一は、はっとして顔を上げる。
「オーソンに用があるんだろ? 僕に構わず、行きたまえ」
「え……えええっ」
「? ……どうかしたのかい?」
 この位置はまずい。
 露伴にここにいられるのは非常にまずい。
 康一はオーソンで何も買うつもりはない。ただ、ジャンプを立ち読みしに来ただけだ。
 しかも読みたくても、露伴から丸見えだ。
 できるわけがない。
「いえっその……先生、一緒に道を探しましょう!」
 何言ってんだ、僕は……。
 なんだか勢いで訳の分からないことを叫んでしまった。
 露伴も、いきなり何を言い出すのかと眉を寄せている。
 でももう引っ込みがつかない。
 押し切るしかない。
「いや……やめておこう。僕に気を遣うことなんかないんだぜ。僕はもう少しここにいるから」
 それが困るんだよ。
「先生! 僕が探したいんです! だからやりましょう!」
 康一の必死の形相をどう判断したか、露伴は如何にも面倒だといった顔で溜め息をついた。
「君の熱意には負けるな」
「じゃあ……」
「君一人で探してくれ。僕は帰らせてもらう」
 また逃げる。
 この人がこういう態度を取るのがどういう時なのか、もうわかってる。
 本心から面倒だと思っているわけじゃない。
 本当は、自分が真っ先にそうしたいと思っている。でも人の後からついて行くのは嫌だ。だから、そんな態度を見せる。
「わかりました! でも先生、一番に先生に報告しますからね!」
「ああ。そうしてくれ」
 オーソンから離れながら、露伴は片手を軽く上げてそう告げる。
 が。
 珍しいこともあるものだ。
 いつもならそのまま行ってしまうはずなのに、今日は引き返してきた。
「一つだけ……」
「はい」
 露伴は小声になり、真剣な顔で康一を見つめる。
「無理に見つけようとしなくてもいい。もしそれが在っても、それはもう以前とは違っているんだから」
 鈴美さんがいないからですか?
 言葉は喉元に引っ掛かったまま、出ない。
「それでももし……新しい何かを見つけるようなら、その時は教えてくれ」
「……はい」
 やっぱり先生は、自分では否定しているけれど感傷的な人だ。
 露伴は今度こそ振り返らず、遠ざかりつつあった。
 最後に一言だけ、微かに康一の耳に届く。
「ここはこのままで、放っておきたいんだ」
 聞き間違いだったかもしれない。
 だが、確認するのも悪いような気がして、康一は露伴の背中を見送る。


 そして露伴の姿が完全に見えなくなってから、康一はオーソンに入り、今日発売の雑誌を手に取って、『ピンクダークの少年』を読んだ。

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