全てのはじまり
高校に入学して十日目だった。
大型新人として、岸辺露伴の名が誌上に載った。
その時迷わず、退学届けを書こうとした。
しかし、高校だけは卒業するようにと、両親と教師、編集部に強く言い含められ、しぶしぶ学校に通うことにした。
次の春、露伴は実家を出た。
一人で生活できるだけの資金は既に露伴の手元にあった。
高校二年生になったものの、新学期になってから学校にはまだ三回しか行っていない。
早朝から鳴り響く電話の音。
露伴はベッドの中でそれを聞いていたが、わざと無視する。
八時半。
この時間に来る電話の正体は知っている。
学校からだ。
まだ姿を見せず、欠席の連絡すらない露伴に、担任教師がかけている電話だ。
だから退学しようとしたってのに。
「……うるさい」
露伴は枕に突っ伏し、できるだけ音を遮ろうとする。
と、漸く留守番電話のメッセージに切り替わる。
『岸辺くん、具合が悪いなら、後で何時になってもいいから先生に連絡してくれないか? 待っているからね』
のんびりとした、遠慮がちなその声。
既に露伴の収入は、この教師の給料を上回りつつあった。この問題児をどう扱っていいのか、彼も正直困っているのだろう。
「この僕が、体調管理もできずに寝込むはずがないじゃないか……」
聞かないつもりでも、しっかり耳に入ってしまったそのメッセージに悪態をつき、露伴はもそもそとベッドから這い出した。
月曜。
もうじき授業が始まる。
数学だったな、確か。
高校生の独り暮らしには不釣り合いなマンションの一室。
露伴は少し遅い朝食を摂った後、外に出る。
学校に行こうかどうしようか、まだ迷っていた。
幸い、露伴が在籍しているのは私服校で、教科書の類はロッカーの中。途中で気が変わっても、そのまま学校に直行できる。
外は思いのほか好天で、露伴は空を見上げる。
木漏れ日が温かい。
学校が嫌いなわけではない。面倒なわけでもない。
ただ、露伴の一日をもっと有効利用したいだけだ。
こうやって歩いているだけで、頭の中は次回作のことで一杯になる。
昨日描き上げた原稿は、いつもよりも良い出来だと思う。
だが、本当にこれでいいのか、少しだけ気になる。
読者は面白いと思ってくれるだろうか。
楽しんでくれるだろうか。
もっと上手く描けるはずなのに。
もっと人を喜ばせられるはずなのに。
来週、露伴の読者が半分になっていたら。
そんな複雑な思いも過ぎる。
こんな気分で学校に行って、何になる?
近くのファーストフード店に入り、コーラだけを注文する。
客席は疎ら。
窓際の席は全て空いている。
その一つに腰を下ろし、露伴は行き交う人々を観察する。
面白くない。
こんな通行人だけ見ていても、何も面白くない。
ただ歩いているだけ。
服装や持ち物、髪型から推測できること以外、何もわからない。
もっと違うことが知りたいのに。
何を考えて、何を経験して、何をしようとしているのか。そんなことが知りたい。
堂々と座っている露伴は、一見高校生だとはわからないらしく、これまで一度も補導されたことがない。
一度くらいならされてみたいと思っているのだが、なぜか誰も捕まえてくれない。
そんなこともまた、つまらない。
何の為に高校生をやっているのかわからないじゃないか。
「……もう辞めてもいい頃かな?」
自嘲気味に、露伴はそう呟いてみる。
行かないのなら、在籍している意味がない。
意味がないなら、辞めてもいい。
テーブルに両手を乗せ、露伴は唯一の持ち物であるスケッチブックを手に取る。
必要なのは、教科書やノートじゃない。
これだけだ。
必要なのは、これだけなんだ。
強く、そう感じる。
何かきっかけがあれば、辞めるいい機会なんだが。
辞めても文句の言われない、そんなきっかけが。
そして。
露伴は、窓の外に、近くの交番の巡査の制服を見る。
「……一度くらいなら、試したいと思ってたんだ」
露伴はコーラを一気に飲み干し、店を飛び出した。
突然自分に向かって突進してきた若者に、その巡査は一瞬戸惑った。
何かあったのか? ひったくりにでもあったか?
しかし。
「おまわりさん! 僕は高校生なんだが、今日は学校をサボってブラブラしていたんだ! 是非、一度補導されてみたいんだが、頼めるだろうか?」
「……は?」
「だから! 僕は高校生なんだ! 今日は学校に行っていない! 補導員ってのは僕には見分けられないから、貴方に頼んでいるんだ!」
「………」
何を言われているのかわからず困惑する彼の胸ぐらを掴み、露伴は同じ言葉を三回繰り返した。
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