ジンクスがある場所に行ってみると?

 康一は息を呑んだ。
 交替時間まで後少し。
 クラスで決まったことに文句を言うわけではないが、午前中の最初の二時間は自由行動、その後は三時間近く教室に張り付いていなければならないというのは、いくらクジ引きとは言えやはり何かおかしいと思う。
 決まってしまってから、仗助や億泰とは時間帯が合わず、一緒に回れないことがわかり、少しだけ気落ちしたのも確かだ。
 他に友達がいないというわけでもないので、それはまあ仕方がないと諦めるとしても。
 一番の問題は、友人との付き合いではなかった。
 それは勿論、今更言うまでもなく、少し怖い彼女の存在。


 まだ始まったばかりの学園祭。尻上がりに盛り上がって行くだろうことは最初からわかっている。
「はぁ……」
 こんな早い時間から校内を徘徊していても、面白いことなどあるはずもない。
 場所によっては、時間内に準備を終えられずに未だにバタバタと模擬店の裏側を見せてさえいる。
 クラスの人間からは「広瀬、今のうちに少し見て来いよ」などと言われて送り出されたが、一人きりで歩き回っても、面白くなどない。
 何より問題なのは、人の三倍イベントを重要視する由花子との時間が殆ど作れないこと。
 後で八つ当たりされたらどうしよう。
 そんなことを考えながら、校舎を端から端まで、ただぶらぶらと歩き回る。
 ぼんやりとしていたせいか、一階の奥で缶ジュースを飲んでいた間田と目が合ったものの、特に会話をするでもなく横を擦り抜けてしまった。
 彼も、「後から来てくれよ」と言っていたが、一人で行っても楽しくない。
 むしろ、一人であまりあちこち行ってしまうと、由花子に変な誤解をされる。自分と一緒に思い出を作るよりも、一人きりで好きなところを歩く方が楽しいのか。そんなことを言われてしまった場合、康一にはうまい言い訳ができないのだから。
「……って言っても、一人じゃ……」
 かなりつまらない。
 交替時間まで、一人で時間を潰すのは一苦労。
 何も考えずに歩いていたその時。
「康一!」
 時間的には、こんなところにいるはずのない男、億泰が両手を振って駆け寄って来る。
 おかしい。自分のクラスに詰めているはずが。サボりなのか。サボっているのか。
「億泰くん……何してるの、こんなところで」
 間違いなくサボりだ。康一はそう確信したが、もしかしたら自分の勘違いで時間を間違えて記憶していた可能性もあるので、一応訊いてみる。
「まだ暇だからよー、ちょっと出て来た」
 やはりサボっているのか。
「それより、これ見たか、これ!」
 握りしめていた手作りのビラを康一の眼前に突きつけて来る。
「何、これ?」
 今日は校内のあちこちで色々な物が配布されている。これもその中の一枚なのだろうが。
「ほら、ここ!」
 何処かのクラスが企画した、『ぶどうヶ丘スタンプラリーに挑戦しよう!』のマップだ。
 チェックポイントとして設定されている箇所の他、学校内の様々な場所の説明も書き加えられていて、それなりに楽しめる作りになっているそれ。
「……参加するの、億泰くん?」
「違うって! ここ、ここ!」
 億泰の指がずっと指し続けているのは、その地図の端の方。
 裏庭の木々のイラストが描かれ、その中の一本に大きく印がついている。
「何これ……? 『恋の三名所その二、情熱の楡』……?」
 そんな名所があったのか。康一は見慣れないその呼び名に首を傾げる。
 よくよく地図を見れば、『恋の三名所』の他にも『ぶどうヶ丘六不思議ゾーン』や『絶対合格! 八祈祷場』といった、聞いたことのないスポットが存在している。
「そんなのがあったんだ……」
 そういったことにあまり興味のない康一は、今それを知ったところで特に思うところはなかった。
 が。
 億泰は違ったらしい。
「この『情熱の楡』の説明見ろよ!」
 何か億泰を興奮させる要素があるらしい。
 言われるまま、目をそこに近づける。
「……『裏庭、北から四本目の大きな木が、恋の三名所の一つ。この木の下では略奪愛が成立すると言います。親友の恋人や新婚の先生に辛い恋をしている貴方、是非この木の下で想いを打ち明けて』……?」
 確かに情熱的だ。
 だが、それと億泰と何の関係があるのだろう。
 ますますわからなくなった康一は、再び首を傾げる。
「さ、行くぜ! 康一!」
「え? え? なんで? なんで僕も?」
 無理矢理腕を取られたかと思うと、億泰は一気に走り出した。
 行く先はきっと、裏庭。
 目的は、まったく不明。


「えーと……北ってどっち?」
「向こうの端だよ。そこから数えて四本目だと思うけど?」
 どうせ暇な身の上。模擬店を一人で勝手に回ることも憚られるとあっては、億泰とつまらない校内探訪に出ている方がいい。
 康一は何か納得できないこの状況に対し、無理にそう言い聞かせた。
 億泰に引っ張られたまま、康一はそれでも律儀に答えていく。
「ほら、あっちの、あの一番大きな……あれ?」
 一番目立つ木だからこそすぐにわかるのだが、そこには先客があった。
「お? なんだよ、もう誰か愛を奪いに来てんの?」
 制服姿の男女をそこに認め、億泰は素早く校舎の壁に身を隠す。
 人一倍の野次馬根性を発揮し、この場は覗きに徹するつもりらしい。
 億泰に引っ張られる形で、康一も物陰に入った。
 そして、少し離れた場所から、その二人の様子を窺う。


 物陰に隠れてすぐ、康一は息を呑んだ。
 交替時間まで後僅か。
 由花子と一緒に過ごせない学園祭に、多少の物足りなさを感じてから一時間数十分。
 恋の名所とやらで差し向かう男女の姿に、康一は覚悟を決めなければならなかった。
「ありゃ、由花子のクラスの色男だ。あいつちょっと男前だからってすぐ鼻にかけやがって嫌な野郎だぜ」
 あまり見覚えはないが、言われてみればそんな生徒もいたような気がする。
「おいおい! 相手は由花子だぜ!」
 そんなこと言われなくても、康一にはすぐにそれが誰かわかっていた。
「あの人……背高くて、格好良いよね……」
 こんな人気のない場所で。二人きりで向かい合って。誰が見ても、今がどんな状況なのか、嫌でもわかる。
「ん? そうかぁ?」
「由花子さん……美人だし、スタイルいいし、ああいう人の方が……なんか、お似合いだよね……」
「馬鹿野郎! 見た目に釣り合うのと、本人達が好き合ってんのとは関係ねぇだろー? 何言ってんだよ、康一」
 康一がぼそりと呟いた言葉から、何か察したらしい億泰は、必死に康一の背中を叩く。
「あんなツラだけのにやけた野郎なんざ、康一の敵じゃねぇよ!」
 億泰は更に康一の頭を叩く。少しずつ、声が大きくなって来ている。
「オレだって康一はダチだから諦めたんだぜ! そりゃさっきまで、ここに由花子を呼び出せば、とか思ってたけど!」
 興奮のあまり余計なことまで喋ってしまっていることにも、億泰は気づいていないらしい。
「声大きいよ、気づかれちゃうよ? ……確かにあの人の方がお似合いだけど、でも……」
 億泰を制し、康一は小声で同じことをまた確認する。
「でも、由花子さんだけは、譲れないから!」
 億泰の声に負けない大きさで宣言し、康一は一歩前へ出た。
「おい、康一? 何処行くんだ……」
 億泰をその場に残し、康一は更に二人に近づく。
 相手が誰だろうと、この場に居合わせてしまったからには、引き下がるわけにはいかない。
 横で億泰が必死に何かを言い続けている間、康一は殆ど耳に入れずに、自分と戦っていた。
 今やらなければ。
 今、出て行かなければ。
 敢えてこの場所を選んでいるということは、相手の男は由花子と康一の関係を知った上で、ここに彼女を呼び出したのだろう。
 康一は侮られているのかもしれない。
 だからこそ、ここは行かなければ。
「おい、康一! 今はまずいだろー?」
 背後から、億泰の囁き声が聞こえる。
 何がまずいのか。
 今だから、行かなければならないというのに。
 康一は一歩ずつ、楡の木の下の二人へ近づいて行った。


 一人物陰に残された億泰は、実は先程から由花子の表情の変化を観察し続けていた。
 康一が何をしに行くつもりか知らないが、行く必要はないと思われる。
 何しろ、男が何か言うたびに、由花子の表情はだんだん厳しくなり、そしてあの髪の毛が、なんだか少しだけ動いているようにも見える。
「なんだよ……あいつまさか、康一の悪口でも言ってるのかよ……?」
 でなければ、由花子があそこまで怒るはずがない。
 もしかしたら、康一よりも自分の方がどれほど優れているかをアピールしているのかもしれない。
 康一が出て行かなくても、事は解決するはず。
 それでも、何かすごい修羅場が見られるかもしれないので、億泰はやはりそこから動かずに三人を見守ることにした。
 が、自分の背後に、更に人の気配が増えた。
 まさか恋の名所の利用者か? 慌てて振り返った先、近づいて来るのは康一のクラスメイト達。
「広瀬ー! 何処だよ、広瀬ー!」
「……なんだよあいつらは。今、すげえいい場面なんだぞ……?」
 確か、康一の交替時間まで、まだ間があったはず。
 何故今、康一を捜しているのか。
 自分が声を出して「康一はここにはいない!」と言うのは簡単だが、それをすると、木の下の二人にも自分の存在を知らしめることになってしまう。
 だからといって、あんな大声を出している連中を近づければ、三人の緊迫した空気が台無しだ。
「こういう時はどうすりゃいいんだよ、兄貴……」
 途方に暮れる億泰に、ますます康一のクラスメイト達は近づいて来ている。
「広瀬ー! おまえの知り合いの人が来たぞー!」
「ひーろーせー! 一万円の人が来たー!」

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