この日だけ価値のある金券。

 まだ自由時間のはずだった康一は、探しに来たクラスメイトによって自分の教室に連れ戻されていた。
 来客だからだ。
 文句を言う筋合いではない。元はといえば招待したのは自分だ。
 制服のシャツの襟に、用意してあった蝶ネクタイを留めれば、即席ウェイターの出来上がり。
 トレンチを片手に、繋げた机にクロスを掛けて作ったテーブルの前に立つ。
 そこに座って待つのは。
「……一緒に来たんですか?」
「いや」
 有り得ない組み合わせだと思った。
 露伴の真向かいに座っているのは、噴上裕也。
 そして彼と一緒にいるのは、見慣れた三人の女の子。
 どういった事情でこの五人が一緒にいるのかわからないが、露伴のことだから、聞いてはいけないような気がする。
 下手に聞いたら後悔することになる、というのはこれまでの経験で熟知している。
「何にしますか?」
 それっぽく作ったメニューを差し出して尋ねれば、露伴は何処からともなく、チケットの束を取り出して渡して来る。
「まずはこの……大量に貰った『おまかせセット』を消費しようかな」
「あ、それですね」
 自分で渡しておいて忘れていたわけではないが、露伴が払った金額は手持ちの束だけで賄えない程の高額だ。その束に換算すると約二倍。
 だが。
 自分から「来て下さいね」と渡した物が使われる。なんとなく、気恥ずかしい。
 照れながらチケットを受け取り、背後で待機する他のウェイターに合図を送る。
 一万円も払ってくれた上客だからと気を遣っていた彼等も、康一の仕草にすぐに反応し動き出した。


「ダーツでおまかせ……?」
 システムを説明し出した康一に、露伴が鸚鵡返しに問い返す。
「はい! ダーツを投げて当たった物を出させて頂いてます!」
 指差したのは、奥の壁。
 そこに用意された的には、幾つかの特別メニューが書かれている。
 勿論当たりもあれば外れもある。
 八百円ではコスト的に赤字となる『スペシャルランチ』から、八百円の値打ちのない『クッキー一袋』まで。
「的に当たらなかったり、届かなかった時は、ジュース一杯になります」
 康一の説明を興味なさげに聞いていた露伴は、徐に噴上の方を向き直る。
「噴上、何がいい?」
 突然そんなことを振られても、噴上は動じない。
 周りに侍らせた三人に確認し、的に書かれたメニューの一つを示す。
「何って……オレ達はあの、デザートセットっていうのでいいけど……」
 いいけれど、それが宛がわれる可能性は皆無。そうわかっている上での希望だ。
「そうか。では、それを五人分」
 露伴はさも当然といった風に康一にそう告げた。
 しかしそれで「はい」と答えるわけにはいかない。システムの説明を聞いていなかったわけではないだろうに。
「先生、先に投げて下さい……」
「仕方がないな。早く渡してたまえ」
 露伴が片手を突きつけるので、康一は後ろのウェイターから渡された矢を乗せる。
「はい、どうぞ」
 が、露伴は眉を寄せて睨み付けて来た。
「何をしている? 誰が一本だけ渡せと言った? 五人分と言っているんだから、五本渡すべきだろう」
「……すみません」
 まとめて渡されても邪魔になるだけだろうという配慮だったのだが、そんな言い訳が通用する相手ではない。
 康一は素直に謝り、背後に控えるクラスメイトに、更に四本の矢を要求する。
 五本のダーツを受け取ると、露伴はそれをまとめて右手で掴んで、的を見る。
「デザートセットだな」
 軽い仕草で手を翻す。と、一瞬のうちに五本全てがまとめて的に向かって飛んで行った。
 恐ろしい早さで飛ぶそれに、教室中が注目した。
「……デザートセット、五つ、です……」
 五本共、同じところに奇麗に並んで刺さっている。
 それまで女の子とお喋りをしつつ待っていた噴上も目を見開き、露伴と的を交互に見つめる。
 教室内に、不気味な沈黙が落ちた。
 康一は遠い目をして、昔のことを思い出した。
 ペン先を投げて仗助の顔に突き立てたり、ペン先につけたインクを飛ばしてベタを塗ったりしていたのを、以前にしっかりとその目に収めたことを。
 そうだった。この人はそういうことができる人だった。
 こんな人相手に、運任せのゲームをしてもらう、という遊戯は成立しない。
 物事をつまらなくすることにかけては天才的だと、しみじみ感じる。
 何とも言えない重い空気を背負い、康一はデザートセット五人分を用意した。


 勿論、露伴の手持ちのチケットが、五枚のはずがない。
「噴上、次は何がいい?」
 テーブルの上があらかた片づいたところで、再び露伴は噴上に同じ質問をする。
 それを傍らで聞きながら、康一はまたぼんやりと思う。
 きっとまたこの人、言う通りのところに当てるよ、と。
 それもきっと、同時に五本まとめて。
 予想通り、噴上が答えた所に命中させる露伴の姿を眺め、康一は溜息を吐く。
 教室内では、繰り返される露伴の妙技に拍手まで起こっている。
 と。
 全く関係ない一般客が、とことこと露伴の前に立った。
「何だね、君は?」
「すみません……お願いがあるんですけど」
 嫌な予感がし、康一は冷や汗を掻く。
 止めようか。
 だが遅い。
「スペシャルランチ、お願いできませんか?」
 客は自分用に持っていたダーツの矢を二本、恭しく露伴に差し出した。
 普段の露伴なら、そんなボランティアに協力はしない。
 祈るような気持ちで経過を見守る康一だったが、その思いは何故か届かない。
「……いいだろう」
「先生! なんでオッケーしちゃうんですか!」
 思わず声を張り上げて割って入ってしまった。
 露伴は康一を不思議そうに見上げ、あっさりと答える。
「彼は僕の作品を全て読んでいるんだそうだ。ファンサービスだよ、康一くん」
 タダでは動いてくれない露伴も、自分のファンだけは大切にする。
 そうだった。この人は、そういう人だった。
 康一が打ちのめされている間に、それを聞きつけた他の客も続々と立ち上がり、露伴の前に行列を作る。
「……広瀬、まずいよ、あれ……皆にスペシャル出されたら、赤字だよ……」
 こっそりと耳打ちするクラスメイトの顔も、青ざめている。
「でも……スペシャルは的も小さいし、もしかしたら……」
「あの人のあれ見て、本気で言えるか、そんなこと?」
「……当たるね、きっと」
「当てるよ……」
 康一たちの危惧通り、露伴の矢は百発百中。
 次々と入るとんでもないオーダー。
 そして教室中の至るところで吐息が漏れる。
 露伴の腕前を賞賛する溜息と、この後の収支決算が非常に不安な高校生達の溜息が。

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