先生、生徒のために寄って下さいよ!
玉美は有頂天だった。
丁度短期のアルバイトも終了し、暇な一日を持て余していた時、不意に思い出したのが、そろそろ母校の学祭時期ではないかということ。だとすれば、駅前辺りにポスターでも貼り出しているはず。そう思って見回してみれば、まさに目当ての物がそこにあり、しかもそれは今日だという。
卒業してからまだ一度も顔を出していなかったこともあり、暇潰しになればと高校へ向かったのが二時間前。
中は、思った以上に盛況で、玉美は適当にひやかしながら校舎を歩き回っていた。
そんな時、階段の目の前の教室という、立地としては最高でありながら、何故かあまり人の入っていないクラスを見つけた。
どうしたことかと覗いてみれば、中ではウェイトレス役の生徒がぼんやりと座って暇を持て余している状況。
しかも、それは全て女装した男。
狙ったほどには受けが良くなく、客入りが悪いらしい。
そのあまりに哀れな様子に、珍しく妙な仏心を抱いてしまった。玉美らしくないと言われればその通りだが、実は昨日付で終えたアルバイトが、繁華街の客引きという職種だったことが影響していたのかもしれない。
教室の中に堂々と踏み込み、そして高らかに宣言した。
「先輩が助けてやる」
最初、そこらの柄の悪いチンピラが因縁を付けに入って来た、と怯えた生徒達だった。
が、不思議なもので、急に愛想良く笑い出したそのOBが、頼りがいのある男に見えてしまったのもまた事実。
こういう状況では、藁にも縋りたい心境だったからかもしれない。
謎のOBは上着を脱ぐとシャツの袖を捲り、気合いを入れたと同時に廊下に飛び出して行き、第一印象を覆す、慣れた笑顔で手を打ち鳴らし出した。
どう見てもプロの手腕は、先程まで閑古鳥の鳴いていた室内に、数多くの客を引き入れて行く。
「お、先生! 久しぶりだなー先生! 先生も入って行けよ?」
たまたま通りかかった二十代の男性教員の腕をがっしりと掴み、玉美は不気味な笑顔を向ける。
「こ……小林くん? 君、なんでここに……?」
「後輩達の応援だよ、応援。さ、先生も中に入った入った」
狼狽える教師を余所に、玉美は掴んだ腕を放すことなく、ずるずると中へ引き入れようとする。
「……このクラスの生徒に、知り合いでもいるのかい?」
「いや。全部今日初めて見る顔だな、多分。でもまあいいじゃねーか、そんなこと」
けして良くはない。
教師の脳裏に、玉美が在学中の数々の思い出したくもない記憶が過ぎる。
手の付けられない不良だった玉美が、こんな所でボランティアで客引きをするわけがない。打ち消せない不安が広がり、教師は冷や汗を掻く。
一方の玉美は、そんなことには全く気づかず、楽しげに教師を教室へ進ませる。
実際、こんなに楽しい気分になったのは久しぶりだった。
学園祭がこんなに楽しい行事だったとは、在籍中には知らなかった。当時は三回とも、適当に屋上や校舎裏で時間を潰していたので、まともに参加したわけではなかった。
こんなに面白いものを、どうして過去の自分は「くだらない」と切り捨ててしまっていたのか。あの頃の自分の考えが理解できない。
それに。
面白いくらい良く客が入る。
アルバイト中は毎晩苦戦していたというのに、今日は信じられないくらい調子が良い。
意外と向いているのかもしれない。今度は長期契約でもう一度あのアルバイトをしよう。
「さあ先生、どうぞどうぞ」
「いや、僕は巡回中だからね、今はちょっと……」
「堅いこと言うなよ。生徒の為に寄ってくれよ」
「いや……」
「可愛い生徒達が困ってんだぜ? 先生もちょっと助けてやれよ、な? 可哀想になあ、あいつら。折角の学祭だってのに……客が入らないんじゃ、楽しくねーなー、きっと」
言いながら、中々折れない教師に、玉美はある手段を思いつき、少しスタンドを使ってみる。
元々責任感の強い若い教師は、錠前一つであっさり態度を変えてくれる。
「じゃ……じゃあ、少しだけ……」
「そうこなくっちゃなあ。はい、一名様ご案内!」
どん、と背中を押し、中へ押し込む。
自分の仕事の成果に満足し、また再び廊下を行く人間を物色し始めた時。
「玉美……」
ここで自分の名を呼び捨てにする人間はそれほど多くない。
「仗助か。おまえも入ってく?」
ここでもし嫌だと言えば、問答無用で錠前を取り付けるつもりで構える。
「誰か知り合いでもいるわけ? ここのクラスに?」
先程の教師と同じことを聞いて来る。
数分前から少し離れた場所で見ていたようだが、こちらの話の内容までは聞こえていなかったらしい。
「知り合いがいなくても、困ってる後輩は助けてやらねーと」
「嘘くせー……後から売上金の分け前取るつもりだろー?」
失礼なことを平気で言う。
が、日頃の自分の行動を顧みれば、その反応は至極もっともだとも言えた。
「馬鹿だねー仗助は。端金貰って喜ぶ訳がないってのに」
こんな学園祭の売り上げなど、たかが知れている。
「じゃ、どうすんだよ?」
「どうせなら、後から出世払いしてもらった方がいいって。まあ今日のところは、可愛い後輩達の喜ぶ顔見て帰る」
「……恩だけ売っておく腹か」
「好意だよ、好意」
確かに、そのうち何らかの形で返って来るかもしれないが、今のところはあまり期待していない。
そう言ったところで、仗助が納得するとは思えなかったので、それ以上は何も言わない。
「どうせなら、間田でも助けてやれば?」
「間田……? ああ、あいつね……」
顔は辛うじて思い出せる。そういえばここの生徒だったっけ。
「この上の階で、あいつが困ってたぜー?」
仗助は意味深な笑みを浮かべ、天井を指差す。
間田がどんなことになっているのかは知らないが、今は手が離せないので玉美は首を振る。
「悪いな、今ここだけで手一杯。おまえも暇なら、寄って行きな」
「オレも折角の休憩時間無駄にしたくねぇ。康一んとこで茶飲む約束してあるんだよ」
誘ってみたものの、仗助はポケットから手作りの券を取り出してちらつかせる。
「……仕方ない。さっさと行け」
康一の名を出されたのでは、逆らえない。
玉美は片手を振って、しっしっと仗助を追い払った。
その日、何故か流行らなかったゲイバーの生徒達は、思わぬ助っ人の登場で思わぬ収益を上げた。
一日の終わりに、彼等は目を輝かせて玉美を見つめる。
「先輩! 先輩人相悪いから心配だったけど……すごく馴染んでましたよ、ここに!」
「なんかすっごく違和感あったけど、でもすごいですよ、先輩!」
たまには、人から感謝されるのも悪くない。
「明日もよろしくお願いします、先輩!」
その言葉を待っていた。
「勿論! 明日も任せておきな!」
玉美は胸を張り、自信ありげに大きく頷いた。
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