秋桜

 夏休みが終わった後、町内はまた静かになった。
 五月蠅い奴らがまた日常に戻ったからだ。
 何人かはS市で勉学に励み、何人かは町内の職場へ戻った。
 露伴にとっては、何月になろうと生活スタイルに変化などないので、あまりそういったことは意識していなかったのだが、他のスタンド使い達にはそれぞれの生活がある。


 今年の夏も、いつもと同じように過ぎて行った。
 突然やって来ては、「先生、海に行こう」「先生、山に行こう」と飽きもせずに誘いをかけられる毎日。そうそう毎日毎日体力を奪われてはたまらない。最初だけは付き合ってやったが、途中からは適当な言い訳を使って逃れた。
 それでも。
 誰に家に来ない、というのも、それはそれで落ち着かない。
 彼等には彼等の生活があって、休みが終わればまた露伴の前から消えてしまう。それは仕方がない。当然のことだ。
 それでも、取り残されたような気持ちになるのは、何故だろう。
 かつては学ランを着て町内をふらふらしていた連中は全員、大学に進学したり就職したりしてしまった。
 露伴だけが、変わらず、今もあの頃のまま。


 仕事が手につかない。
 早朝の通勤風景を尻目に、露伴はスケッチブック片手にその流れに逆らって歩く。
 気分転換になれば、と家を出てみたが、冬へと近付くこの季節、常日頃薄着で出歩く露伴も、そろそろ服装を考えなければならない時期になったらしい。少し、寒い。
 まだ朝だからかもしれない。
 腕時計で確認すると、やっと七時を過ぎたところ。
 仕事をするつもりで机の前に座ったのが、深夜二時。結局あまり筆が乗らず、だらだらと朝を迎えてしまったが、不思議なことにちっとも眠くならない。
 それどころか、早朝の冴え渡った空気の中に身を置くことで、余計に頭の芯まで冷めて来た。
 これはきっと、仮に今すぐ家に帰ってベッドに潜り込んでも、絶対に眠れないだろう。
 別に構わない。
 何時に寝て何時に起きようと、露伴には拘束されるような時間も都合も社会的立場も持ち合わせていない。全てが自由。
 眠くなったら寝ればいい。
 なので、露伴は駅前の喧噪を逃れ、裏通りをゆっくりと歩いていた。
 まだカフェが開く時間には程遠い。暇つぶしに座ることのできる場所も限られている。
 どこかの公園のベンチにでも座って、何か自然物でも描いているのが一番だろうか。
 そんなことを考え、露伴は幾つか候補地を頭に浮かべる。
 この季節、一番見応えのある公園が、確か近くにあったはずだ。


 公園には先客がいた。
 もっとも『公園』と言う以上は、誰でも気軽に利用できる。誰が何をしていようと文句など言えるはずもないのだが、それでもつい眉を寄せてしまう。
 この男を見るのは、随分久しぶりだ。
 最後に会ったのはいつだろう。半年前だろうか。
 この狭い町にいて、それだけの期間顔を合わせないというのも不思議なことだ。
「よっ、先生。朝飯食うかい?」
 小林玉美は、相変わらずコンビニの袋を傍らに置き、おにぎりを食べていた。
 何年か前から、時々見掛けた光景。
 何年経っても、変わらない。
「……頂こう」
 どうせ余分に一つか二つあるのだろうから、遠慮はしない。
「赤飯と昆布、どっちがいい? あ、唐揚げもあるぜ?」
 昆布の方を受け取り、露伴は玉美の横に座る。
 他にもベンチはあるのだが、敢えて他へ移動はしない。
「しかし先生、相変わらずこんな時間から暇そうだな? 徹夜で仕事してたんですか?」
「徹夜はしたが、仕事はしていない」
「へー珍しいなー」
 缶入りの緑茶を飲みながら、玉美は梅のおにぎりを口へと運ぶ。
「近頃はコンビニのおにぎりも質が上がったな……どんどん美味くなってるよな、先生?」
「生憎だが、僕は滅多に食べないんだ。違いはわからん」
「相変わらずだなー先生は」
 生活水準の差を、無意識に露わにしてしまう露伴の言葉を、玉美は全く気にすることなく受け流す。
 勿論、言った当人は何も意図していなかったので、そんな玉美の意外な懐の深さにも気づかない。
 その代わり。
 全く別のことを思う。
「そういう玉美は、こんな時間から何をしているんだ?」
「さっきバイトが終わったんで、食ったら帰って寝ます」
「バイト?」
「日雇いの肉体労働。先生には縁のない職種だから、よくわかんないだろ?」
「ああ、そうだ。是非、詳しく知りたいな」
 何かの参考になるかもしれない。思わず目を輝かせてしまった露伴に気づき、玉美は少しだけ身構える。
「待った! 口で説明しますから、スタンドは無しだぜ!」
「直接読んだ方が早いだろう? 誤解もない」
「……手間省きたいって理由で、簡単に頭の中見られるなんてたまったもんじゃないよ」
 玉美は定職につかない。
 これは知り合った当初からそうで、もしかしたら既にポリシーなのかもしれない。
 事実玉美は、同じことの繰り返しという、慣習から来る怠惰を受け入れることができない。どんな仕事も、三日で飽きる。最初だけは物珍しさからか、喜んで働くが、そのうちに面倒になって辞めてしまう。
 だから、短期のアルバイトしかできない。


 貰ったおにぎりを食べながら、露伴は公園内を覗う。
 まだ他に誰もいない。
 二人きりの静寂。
 ふと、今朝仕事部屋の机の前で感じた、あの寂寥感が薄れていることに気づく。
 周囲の人々が変わって行き、露伴だけが取り残されている、という寂しさ。
 それを、今は、微塵も感じない。
 その理由は、考えるまでもなかった。
 今隣で呑気に欠伸をしているこの男が原因だ。
 露伴だけではなかった。
 あの頃のまま、何も変わっていないのは、露伴だけではなかった。
 この玉美も、あの当時と同じ。
 他の人々が変わってしまっても、玉美だけは変わることなく、こうやって朝から公園でおにぎりを食べている。
 既に二十三歳になり、三年も経っていながら何一つ変わろうとしなかったこの男。変わらずにあることが当たり前だとでも言うように振る舞う男。
 露伴だけでなく、玉美もまた、三年前の時間軸の中に取り残されている。
 それが今、露伴を安堵させている。


 貰ったおにぎりを食べ終えた後、露伴は足許の花壇に目を落とした。
 誰かが常に手入れをしているここは、季節の花々がいつも咲き誇る。
 今は、白と桃色の秋桜が自己主張していた。
 たまには、花もいいか。
 スケッチブックを広げ始めると、玉美も興味津々といった様子で覗き込む。
「へー先生は花の絵も描くんだ? 上手いな、やっぱり」
「当然だ。僕はプロだぜ」
「……仰る通りで」
 一輪だけ、正確に模写し終えた時、風が一陣園内を吹き抜けた。
 何も考えずに薄着で出て来てしまった露伴は、思わず身震いする。
「先生、寒いんじゃ……?」
「ああ、寒いが?」
 見ればわかるだろう、と視線を投げる。
「もう帰ったら? 風邪引くぜ?」
「嫌だね。この花を写し終わるまでは帰りたくない」
 よくわからない我が儘を言い出した露伴に、玉美は心底心配そうに呟く。
「あんた独り暮らしなんだから、もうちょっと自重した方がいいって。熱出して倒れても、誰も助けてくれないだろ?」
「僕が自己管理もできない人間に見えるか?」
「……自信過剰過ぎて、まともに予防しない人間には見える」
 この数年で、何だか独り言が多くなった玉美だが、露伴はそれらを全て無視し、またペンを走らせる。
「まったく……」
 言っても聞かない漫画家に、玉美は溜め息を一つ吐いた後、ベンチから立ち上がる。
「じゃあ先生。花を持って帰って、家で描けばいいだろ」
 言うのが早かったか、行動が早かったか。
 露伴が止める間もなく、玉美は花壇に屈み込んで秋桜の花をまとめて掴み、そのまま力任せに引っ張り上げた。
 秋桜の花は全て、玉美の手の中に収まり、花壇は見るも無惨な惨状を露呈する。
「………」
 風情も何もあったもんじゃない。
 絶句する露伴に気づいているのかいないのか。
「ほらよ、先生。遠慮なく持って帰ってくれよ」
 良いことをした、と満足げな笑みを浮かべ、玉美は秋桜を露伴に差し出した。
 本当に、この男は何年経っても、露伴と通じ合うことがないらしい。

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