色あせた思い出

 一番最初に来た時は、顔を見るのも不愉快だったので居留守を使った。

 二回目の訪問時は、仕事の関係でそういう気分ではなかったので、怒鳴って追い返した。

 三回目も、ベッドに入って僅か一時間というタイミングだったので睨みつけて帰した。


 都合四回目となる訪問。
 よくもまあ、懲りずにやって来るものだと露伴は思う。
 別に許したわけではないのだが、今日は仕事も終わったことで機嫌が良い。
 だから入れてやった。
 何度も何度も通って、やっと家に招き入れてもらえたことで、噴上裕也の顔は綻んでいた。


 誰に言われたかは不明だが、本人の意志でないことは間違いない。
 噴上は、以前のトンネルでの一件を詫びるため、露伴宅を何度となく訪ねて来ていた。
 心底悪いと思っているからではなく、何をするかわからない露伴の報復が恐ろしいから。
 多分、仗助や康一の口から語られる岸辺露伴像に危機感を感じたのだろう。九月に入ってから、三日に一度の割合でこの家の前に立った。
 ご丁寧に、駅前のケーキ屋から買って来た箱を携えて。
 けれど来る時間に問題があったため、未だに露伴に詫びも言えず、話も聞いてもらえていない。
 あまりしつこくすると逆に恨まれるかもしれない。とは広瀬康一の言。
 言うことだけ言って逃げ帰った方がいい。と言ったのは東方仗助。
 どちらの言葉にどれだけ重きを置くか。その選択は噴上に任されていた。
 噴上が選んだのは、機嫌の良さそうな時を見極め、とにかく土下座して謝る、ということだった。
 しかし、行く度に、出て来る家主は、機嫌の悪さを隠そうともせずに噴上を追い払う。
 日を改めてまた来ます。
 毎回そう言って引き下がっていたのだが、今日こそ、目的が果たせるかもしれない。


 何をしに来たのか、大凡の察しはついていた。
 多分、例のあれについて謝罪に来たのだろう。
 露伴はとりあえず相手がどう出るかを見ることにして、応接間に通した。
 途端に、手にしていた箱を差し出される。
「これっツマラナイ物ですがっ!」
「……人に渡すのに、つまらん物を持って来たのかね、君は?」
 これでもし噴上が「美味しいケーキだからどうぞ」と言っていた場合でも、露伴は厭味で返していた。相手がどんな言い方をしようと、絶対に素直にうんと答えないのが露伴だ。
「好意で持って来てくれたのなら、受け取るか……」
「はい! お口に合えばいいんですが!」
 明らかに、口調に無理が出ているな。
 慣れない言葉を使おうと四苦八苦しているのがわかる。
 きっと仗助あたりが忠告したのだろうが。
「コーヒーでも淹れて来よう。そこで待っていたまえ」
 ケーキを受け取り、露伴はキッチンへ向かう。


 露伴の姿が消えた所で、噴上は大きく息を吐き、ソファに倒れ込みそうな勢いで座る。
「……まだ怒鳴られてないから、機嫌は悪くないんだよな……?」
 怒鳴り出されたら逃げろ、と言われている。
 露伴を知る者の言葉はそれぞれ違っていたが、全員の意見はそこでだけは一致していたので信用する。
 しかし油断はできない。
 いつ何がきっかけで露伴の怒りに触れるか。
 さっさと謝って帰りたい。
 本当なら、わざわざ来るほどのことでもないと思っていたのだが、それを言うと他のスタンド使い達が青ざめた。
 悪いことは言わない、謝って来い。露伴を怒らせたら、記憶改変されるぞ。
 露伴は自分の能力を使うことに何の抵抗も持っていない男だ、と力説され、本当にとんでもないことをされてからでは遅いと教えられた。
 さすがに自分の頭の中を勝手に弄られるのは嫌だな、と思ったので、言われた通り手土産を持って来てみた。
 一度や二度じゃ家に入れて貰えない、というのも康一の予測だったが、本当にその通りだった。
 だが、ああいう人種は苦手だ。
 なんだか自分より優れた人間はいないと思っているようだし、自分中心に地球を動かしてもいいと本気で思っていそうで、苦手だ。
「駄目なんだよな……あのタイプ……」
 付き合い辛い相手とは目も合わせない。それが噴上のポリシーなのだが。


 コーヒーとケーキを持って戻った露伴は、一旦、応接間の扉の前で立ち止まる。
 そして少しだけ隙間を作り、そっと中の様子を窺う。
 何かブツブツと独り言を言っている噴上がいる。
 何だ?
 謝罪文の暗唱中か?
 多分、頃合いを見計らって土下座でもするんだろうな。
 タイミングを掴ませないようにする、というのも面白そうだが、それでは普通過ぎる。
 折角カモが飛び込んで来たのだから、有効利用したい。
 最近では、他のスタンド使い達は妙に警戒心が強くなって、露伴の術中に落ちないようにと常に気を引き締めている節がある。
 こいつは多分、まだ慣れていないから、その気になればいつでも掛けられるだろう。
 初対面の人間は、まず頭の中を覗く。
 それほど親しくない顔見知りも、やはり覗いておく。
 なので。
「待たせたな」
 露伴はすっと扉を開き、室内に入った。


 ケーキを半分食べたところで、露伴は油断し切っている噴上に『ヘブンズ・ドアー』を使う。
「こういう目に遭うかもしれないってわかっていて、なんでこいつは無防備なんだ?」
 ソファに座ったまま、本になった噴上に近付き、露伴はそのページを捲る。
 わざわざ口で言ってもらわなくても、読んだ方が早い。
「……やっぱり嫌々来てたんだな。康一くんの入れ知恵か」
 ここを訪問するに至った経緯をざっと読む。予想通りの結果だったのでつまらない。
 しかし、何度追い返してもめげずに来たのは、自発的行為だったようだ。そこだけは褒めてやろう。
 他に何か面白そうな記述はないかと探す。
 と。
 いいものを見つけた。
「こういう奴でも、仲間意識だけは人一倍か……」
 暴走族に入っている、とは聞いていた。
 心を許した友人にだけは甘くなるタイプなのだろう、彼等に対する思い入れは強い。
 そして、それらと似たような位置に格付けされているのが、仗助と康一だ。
「なんだこいつ? 僕のバイクが見たいのか?」
 まあ、露伴と話を合わせようと思ったら、それくらいしか思い浮かばなかったのだろうが。
「へえ……整備も得意なのか……」
 使えるかもしれない。
 露伴は時々無茶な動かし方をするので、こういう便利な奴が一人欲しいと思っていたところだ。
 偏ってはいるが、それに関する知識は豊富。
「……どうするかな?」
 本当は記憶の一つ二つ、弄らせてもらおうと思っていたのだが。


 噴上が目を上げると、露伴はコーヒーを啜っているところだった。相変わらず話しかけるタイミングが掴めない。
「あ、あの……」
 話しかけようとしたその時、露伴の方が先に問いかけて来る。
「君はバイクに詳しいそうだが?」
「はい」
「知っていると思うが、僕も一台所有している。最近少し調子が悪いんだ。見てわかるか?」
「多分……」
 早く謝って帰りたいのに、と思う。
「では頼む。……ちゃんと直せたら、あの件は忘れてやる」
「わ、わかりました!」
 なんだかわからないが、許してもらえるらしい。
 早速ガレージへと案内される。
 が。
 移動しながら、何かおかしいと気づく。
 まるで噴上の心の中を全部読んだ上で、先回りされているようだ。
「……まさか」
 本にされている間の記憶は綺麗に抜かれる、と聞いた。
 知らないうちに読まれているのだ、と。
 だったら。
 この妙に機嫌の良さそうな漫画家の横顔が不気味だ。
 何かされたのかもしれない。
 記憶を抜かれたとか、勝手に書き換えられたとか。
 自分の思い出の数々を振り返る。
 取り立てて不審な点はない。
 けれどそれさえも露伴の手によって不自然なく改変されたものかもしれない。
 何もされていないのか、されてしまったのか。
 どっちだ……?
 考えてわかるはずもないことだが、それでも不安になる。
 また、自分の記憶を辿る。
 いつも思い浮かべていることを、蘇らせてみる。
 一度疑ってしまった心は、大切な思い出さえも色褪せさせる。
 どっちなんだよ……?
「どうした、早く来い」
「はい……」
 しかしまあ、日常生活に支障はなさそうだし、露伴に怒鳴られなかったのだから、ひとまずは良しとしようか。

秋の5つのお題 Menuページへ
Topへ