トワイライト
小道を抜け、商店街へと。
相変わらずの町は、時折店舗が増えたりする程度で、根本的には当時と同じ。
「あら?」
すぐ近くに、新しくコンビニエンスストアがオープンしている。
時代の流れを感じた。
こんな小さな町の商店街の一角にも、こういった店が出来るようになる。
十年以上経ってしまったのだから、当たり前と言えば当たり前なのだけれど。
落ち葉をざくざくと踏み締め、大きなガラス窓越しに店内を眺める。
「アーノルド、ちょっと待っててね」
一時も傍らを離れない飼い犬の頭を撫で、そう言いつける。
が、小さく鼻を鳴らし、どこまでも着いて来ようという態度。
「駄目よ、お店の中なんだから」
見えていない犬なのだから、一緒に入っても問題は無さそうなものだったが、なんとなく生前からの癖というか、たとえ誰も気づいていなくても、社会のルールにはしっかり乗っていたい。
誰にも見えないから好き放題する、というのは間違っていると思うので。
例えば、横断歩道で信号が変わるまで待つだとか、他人の家の敷地に勝手に入らないといった事柄。守っても守らなくても、全く問題の起こらないそういった小さなことまで、鈴美は頑なに突き通してこの町に存在していた。
そうすることで、少しでも世間との接点を残しておこうとするかのように。
店内は、まだ真新しく、塗装の匂いが多少残っていた。
客や店員とぶつからないように細心の注意を払って、一通り売り場を廻る。これも、ぶつかったところで、相手側は接触に気づかないのだから気を遣う必要はどこにもないはずなのだが、ついそうしてしまうのだ。
そうして。
新しいお菓子のパッケージや、変わった名前の飲み物などを見た後、週刊誌のコーナーに立つ。
昔からずっと変わらずに発行を続け、名前に見覚えのある雑誌もあれば、鈴美の知らぬ間に創刊された物も。
それらを順番に取り、適当にパラパラ捲る。
面白い物など、殆どない。
なんとなく順番に見ていたその中に、思わぬ物を見つけるのは、それから間もなくのこと。
「これ……?」
少年漫画の雑誌だということは承知している。
その中に載っている、一つの名前。
親しい知人のそれと同姓同名。
「……ペンネームかしら?」
しかし、ちょっと変わったその名前を、どんな偶然によって筆名として採用する人間がいるのだろう。
たまたま彼と同じ名前を選んだ漫画家がいた、という可能性よりも、自分の良く知るあの子が漫画家になった、と思う方がよほど自然だ。
「……本人?」
だがどれだけ雑誌のページを捲っても、彼が彼であることを証明する記述はない。
この場は諦めるしかない。
いつか、それを知る機会も訪れるだろうから。
既に二ケタの年月をこの町で変わらずに過ごしている鈴美にとって、最早時間など無意味同然。こうやって存在を続けている以上、どんな情報もいずれは手に入ってしまうのだから。
けして焦ることなく、鈴美は雑誌を元の位置に戻し、店から出る。
なんとなく、店員に「ありがとうございました」とか「またお越しくださいませ」と言われてみたいと思った。
そんなことは、絶対に有り得ないと知っていながら。
「お待たせ、アーノルド」
大人しく店の前で主の帰りを待っていた飼い犬を促し、鈴美はまた、最も馴染んだ場所である小道へ戻りかける。
「今、懐かしい名前を見たのよ」
あれから何年経ったのかを指折り数え、あの子が幾つになったのかを考える。
「十六歳……あたしと同じ歳ね」
あんなに小さかったのに。
多分もう、自分よりも背は高くなった。
「高校生よね、きっと」
どんな男の子になっているのだろう。
最後に会ったのは、自宅の窓越し。
会った、という言い方はこの場合適切ではないが、きちんとお別れも言えずにそれきりになった。
「格好良い男の子になってたらいいわね。折角生き延びたんだから、良い男になってくれないと……」
と。
上空に感じる、いつもの違和感。
「!」
反射的に見上げた空。
若い女性が、苦悶の表情のまま消えて行った。
傍らのアーノルドも、それを見つめ、小さく唸る。
「大丈夫よ、いつか必ず、あれも終わるから。それを見届けるまで、ここで頑張ろうね」
膝をつき、アーノルドを抱きしめる。
温もりはない。
それは互いに感じていることだろうけれど、鈴美は構わず頬を擦り寄せる。
温もりを感じなくても、互いが互いに触れられる。
その実感さえあれば、この先何年かかるかわからなくても、ここで正気でいられる。
一人きりではないのだと、安堵できるから。
葉の全て落ち切った木々の枝が、今日は少しだけ憎らしい。葉が茂っていれば、ああやって飛んで行く人の姿を、多少であっても隠してくれる。
見えすぎてしまうこんな季節。
風を冷たいと感じることはなくても、かつての肉体の記憶がそうさせるのか、時々「寒い」と呟きそうになる。
次の週、あの雑誌の発売日であることを確認した上で、またオーソンに入る。
前回来た時よりも、客が少し増えているようだった。
客足が遠のこうが近付こうが、自分には何の利益もないのだけれど、なんだか少しだけ嬉しい。
町の住民が、幸せそうに笑っている姿を見るのが、一番好きだ。
今日は真っ直ぐに目指すコーナーに立ち、例の雑誌の名を探す。
そしてすぐにそれを手に取り、中を開く。
「あ……」
こんなに早く事実が確認できるなんて、運が良い。
何の偶然か、この号には先週気になった漫画家についての詳細が記されていた。
写真まで載っている。
「十六歳……今年デビューしたのね」
年齢、出身地、様々なデータが一致して行く。
写真の顔は、それほど鮮明でないにしろ、目鼻立ちくらいは十分判別できる代物。
「面影、残ってる……」
目元や口元。
目を閉じれば今もはっきりと浮かぶ、あの子の顔。
同じだ、とわかる。
あの子が成長すれば、間違いなくこうなるだろうという顔立ち。
「元気そう……」
この写真が欲しいと思った。
これを、ずっと大切に持っていたいと。
ただ、問題が幾つかあるのだけれど。
「お金無いし……それに、レジに持って行っても、お店の人、気づいてくれないし……」
だからといって万引きはできない。
それだけは絶対にできない。
「どうしよう……」
困惑する鈴美が、視線を泳がせた時。
「……あ」
本当に、今日はついていると思う。
ちょうど、店の前に座り込んで、買ったばかりの雑誌を読みながら缶ジュースを飲んでいた少年が、空き缶と一緒に雑誌も店の前のゴミ箱に捨てようとしていた。
しかもそれは、今鈴美が手にしているのと全く同じ物。
「アーノルド、その雑誌拾って!」
優秀な飼い犬は、少年にも通行人にも気づかせずに、ゴミ箱に入る直前に雑誌を銜えた。
小道に佇み、鈴美はアーノルドにそのページを開いてみせる。
「ほら、アーノルド。誰かわかる?」
大きな瞳は、さも当然といった風に鳴いた。
「そうよね、わかるわよね。十二年経っても、あたし達には昨日と一緒だもん」
ただこうやって現実を突き付けられると、本当にこれだけの歳月が過ぎたのだと実感してしまう。
アーノルドの首に手を回し、鈴美はふわりと微笑む。
「そうね、ちょっとひねくれちゃったかな? ……目付きも悪いよね、友達もできなさそう」
写真の中のあの子は、憮然とした表情でこちらを見ている。
「あたしのこと覚えてると思う? だって、あんなに小さかったんだから……」
この先何年ここに留まるのか、自分でもわからない。
けれど、こうやって外界との接触を持っていれば、こんな嬉しいニュースにも巡り逢える。
「ね、やっぱり時々はこの道から出て、町を見なきゃだめなのよ」
アーノルドは肯定するように首を巡らせ、そして鈴美に擦り寄った。
雑誌を閉じ、鈴美は軽く伸びをする。
だからたまには、あのコンビニにも行こうと思いながら。
「あーあ……あのポッキー、美味しそうだったなー……お菓子を買う方法、考えようか、アーノルド?」
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