秋色の世界

 カフェ・ドゥ・マゴの前を通りかかった時、露伴は小走りに駆けて来る女に腕を掴まれた。
 どうせまたサインや握手を強請るファンだろうと思い、ゆっくりと振り返った。
 しかし、真っ先に目に入ったのは、すっかり見慣れてしまったあの凄い髪の毛。
 それだけで、もう相手の正体は判明していた。
「由花子くん?」
 制服を着ていないが、今日は平日だったはず。祝日でもなかったはず。
 堂々とサボリだろうか、と露伴が思い始めた時、由花子が口火を切った。
「先生、ちょっとお願いがあるの」
 お願い、というよりも強要ではなかろうか。
 人の服の袖をしっかりと掴み、ぐいぐい引っ張って行く。
 露伴の都合など全く構っていない様子だ。


 カフェでぼんやりしていたらしいことは、カップが冷え切ってもまだ中身が半分以上残っていることからもわかる。
 たまたま現れた露伴の姿を目に留めたのは、まあ普通だとしよう。
 その後、わざわざ小走りに駆け寄った。
 そこが由花子らしくない。
 どうせまた、康一のことで悩みでもあるのだろうと、露伴はあっさり結論付けていたのだが、それでも一応聞いておくかと、促されるまま由花子の隣の椅子を引く。
「僕に何のお願いがあるんだ?」
 由花子はメニュー表を露伴に差し出した。
 つまり、それだけ話が長くなるということだ。
 仕方なく、露伴は今日のお勧め紅茶を注文する。
「それで?」
「急かさないでくれる? これでも女の子が一大決心して打ち明けようとしてるんだから」
 相変わらず、敬語一つ使わない。
 あの仗助でさえ、上辺だけながらも言葉遣いだけは丁寧にするというのに。
 露伴の前にカップが運ばれて来るまで、由花子は無言のままだ。
「君の方は? それ、もう冷めてるだろ」
「いいのよ、これで」
 一体いつからこの店にいたのか、冷たくなってしまった液体を見ながら、由花子はそれでも手を伸ばさない。
 露伴としては、別に由花子に無用な気を遣うつもりなど毛頭無いので、本人がいいという事柄にはそれ以上関心を示さない。
 自分の分の温かいカップに手を伸ばすと、由花子はその湯気を少しだけ羨ましげに見た。
 もう季節も変わる。
 冬も近い。
 いくらまだ十月上旬とはいえ、オープンカフェに長時間いれば多少は指先も冷える。
 それでも露伴は、あくまでも他人事なので気づかなかったことにした。
「それで?」


 案の定というかなんというか、由花子の悩みはいつも同じテーマだ。
 全て、広瀬康一に関すること。
「誕生日?」
 先月、律儀な康一は、わざわざアメリカに小包を送った。
 よくそんなことまで覚えていたと感心するしかないが、ジョセフ・ジョースターに誕生日のプレゼントを贈るために。
 それはそれで結構なことだと思う。
 多分近い将来、お中元とお歳暮を欠かさないタイプの社会人になる。
 数年後には、自分の家にも年二回何かが送られて来るだろうと露伴は予測し、微かに笑みを浮かべる。
「何がおかしいのよ?」
「康一くんらしいからさ」
 今日の紅茶はあまり美味くない。
 露伴は一口だけ飲んで、後はそのままテーブルの飾りのように放置する。
「で、それの何が問題なんだ?」
「……あんなじいさんにもプレゼントを贈るなんて、立派だと思うわ。……でも、私にもくれるかしら……?」
 つまらない悩みだ。
 ジョセフ・ジョースターにまで贈るくらいなのだから、身近な人間全員を祝う気でいるに決まっている。
「くれるだろう? 当然だ」
 二人は正式な交際をしている。クリスマスやバレンタインと同じくらい、高校生のカップルには誕生日も重要な行事だ。
「でも、どんな物をくれるかによって、康一くんが私のことをどの程度想ってくれているかがわかるわよね……?」
「………」
 それはどうだろう。
 露伴から見て、康一はけして金が有り余っているわけではない。
 限られた予算の中で遣り繰りするしかない。
 そして最も重要なことは、康一のセンスだ。
 年頃の女の子を喜ばせられるような品を、果たして康一が選び出せるかどうか。
 無理だ、と露伴は思う。
 期待したほどの物は得られないだろう。
「……君は、康一くんがくれるなら、何でもいいんじゃないのかね?」
「何だって嬉しいわ! でも……」
 本当に、つまらない悩みだ。
 プレゼントの一つや二つで、康一の感情を計ろうとするのは間違いだ。
 由花子の好みなど、康一の感性で理解できるわけがない。
 そこまで考えた時、露伴はやっと由花子が何の目的で自分をここに連れて来たのかに気づく。
「……わかった。参考までに聞いてやる。参考までにだ。たとえばどんな物が欲しいんだね?」
 途端に、由花子の顔が明るくなった。
 予想通りだ。
 解りやすい性格で助かる。


 何のことはない。
 康一の愛情を確かめるために、露伴を利用したかっただけだ。
 後は露伴が康一を呼び出し、由花子が誕生日に欲しがっている物を教える。そして康一がそれを用意すればいいだけのことだ。
 わざと、由花子は高額の品を挙げた。
 康一に用意できるかどうか微妙な金額。
 それを康一がどう判断するかを、由花子は知りたいのだろう。
「君は、康一くんにそんな資金があると本気で思っているのか?」
 露伴の前のカップも、由花子のそれと同様に冷えている。
 どちらのカップも、殆ど中身は減っていない。
 二人が席を立つまで、この状態のままだろう。
「でも私のことが好きなら、何とかしてくれるでしょう?」
 何とかするだろう。
 康一なら、何とかしようと努力するだろう。
 もしかして、また自分が短期のアルバイトを紹介する羽目になるのだろうか。
 しかし。
 誕生日がこうなら、この後のクリスマスにもまた同じことが繰り返される。その度に、露伴は康一にバイトを紹介することになりそうだ。
「さあね。僕には何とも言えないが」
 指先が冷えて来た。
 温めたくても、目の前のカップはその役目を担えそうにない。
 帰ったらもう一仕事待っている。すぐに指を動かさなければならないというのに、温めるために取られる時間が無駄に使われる。
 見れば、由花子の指も震えている。
 時々摺り合わせるような仕草まで。
 寒いのなら、帰ればいいだろうに。
 いつまでここで浸っているつもりなのか。
 付き合うつもりはなかったので、露伴は伝票を掴む。
「僕はこれから仕事がある。これで失礼させてもらう」
「さっきのこと、お願いするわよ」
 人に頼み事をするというのに、何だってそう居丈高なんだ。
 露伴の方が歳も上だというのに。
「康一くんに会う時まで覚えていれば、だな。……それと、今度僕を呼び止める時は、風の入らない屋内にしてくれたまえ」
 別払いにしたかったのだが、同じテーブルについてしまった以上、伝票は一枚しかない。
 面倒だったので、露伴は由花子の分も払う。


 帰り際、偶然商店街で康一を見掛けた。
 由花子に言ったのは嫌がらせだったが、露伴の場合本当に忘れてしまう可能性があったので、覚えているうちに伝えることにした。
「由花子くんは、誕生日に指輪が欲しいそうだよ、康一くん」
 ちゃんとブランドと石も指定して。由花子の言った通りに伝える。
 目を見開いて動揺する康一を尻目に、露伴は自分の仕事の日程を考える。
 何か、康一にできる雑用があっただろうか。
 由花子の誕生日までに、希望金額に達するだけの、雑用。
 資料集めと、後は部屋の掃除を手伝わせるくらいか。
 それで何とかなるだろう。
 露伴は、混乱したままの康一に、それを提案してみせる。
 もうじき庭も、枯れ葉だらけになるだろう。
 そういったこと全てを康一に任せてみよう。

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